母と過ごして考えた「生きる意味」
以前、Twitterで「死の直前に誰もが口にする後悔の言葉」がまとめられていたのを見かけた。
ツイートは多くの反応を得ていて、やはり誰しも後悔なく生きたいんだなぁ。そりゃそうよねぇって月並みな感想を持った。もちろん、私もその一人。できるだけ後悔は少なめで、笑って人生を終えたい。
ただ実際、どうなんだろう。
本当に列挙されているような後悔をするんだろうか。その時が来ないと本当のところはわからないだろうけど。
そんなことを考えた時、「その時」を迎えた人のことを思い出した。
母である。
私の母は数年前癌でこの世を去った。
母と過ごした最後の数ヶ月から、後悔しない人生とは何か、生きる意味とは何か、考えてみたいと思う。
まず、冒頭のツイートにあったような後悔の言葉。
余命を知った後、母は何か後悔の言葉を口にしただろうか。
・本当にやりたいことをやらなかった
・健康を大切にしなかった
・仕事ばかりしていた
・会いたい人に会いにいかなかった
・学ぶべきことを学ばなかった
・人の意見に耳を貸さなかった
・生きた証を残さなかった
結論としては、何も言わなかった。
性格上、あまり弱みを見せたがらない、愚痴も好きじゃない人だったので、実際のところ後悔はあったのかもしれないけれど。よくわからない。
ただ、少なくとも我々家族の前では病気が発覚する前と変わらず、いつも通りだった。
(もちろん、病気が進行するにつれ、痛いとか辛いとか、そういうことを言ったりはしたが。それでもそんなに頻繁には言っていなかった。)
癌になったのもなぜ母なのかというくらい、健康で模範的な生活をしていた。夜は10時すぎには寝るし、お酒もタバコもしない。食事は和食中心。
なので少なくとも、「健康を大切にすればよかった」と後悔することはなかったように思う。
そして後悔の言葉の代わりに、いつも冗談は言っていた。
お医者さんから癌ですねと言われた時も
「ガーーーーーーーーーーーーーーーーン!!!」
という最強の癌患者ジョークを言ってのけ、周りを驚かせた。
(言いそうなキャラクターではあったが、本当に言ったなこの人、と思い引いた。嘘です感心しました。)
とても明るく、太陽のような女性だった。
それでは行動はどう変化しただろう。
医者からざっくりとした余命を告げられ、残り時間を知ったのち、母は何か行動を起こしたか。
結論、こちらも大きな変化はなかった。
いつも通り、韓国ドラマをみて、犬と散歩に出かけ、DSのゲームをする。
強いて言えば、ゲームソフトのWiiを買って、おうちでカラオケを始めた。笑って免疫力を高めるんだ!と張り切り、毎日少年隊の仮面舞踏会を歌っていて、それはそれで楽しそうだった。
ただ一つだけ変化というか、印象的だったのは、病気の悪化により接客の仕事が出来なくなった事をとても悲しんでいたこと。
田舎の高校を卒業してから、憧れの都会進出を果たし数年百貨店に勤務し、その後母の母(私の祖母)が同じく癌とわかり故郷に帰ってからも長年接客業に従事していた母。
都内のお店では立地的に反社会的勢力の方が多く来たけれど、臆することなく下着を売ったのよ...私のキャラクターのおかげねと武勇伝のように語っていた。
故郷で和菓子店に勤めた時も、お客さんはもとより、同僚たちにも元気を届け、とても愛されていたように思う。いじめられていた過去があり、周りに溶け込めず職を転々としていた同僚の女性にもどんどん話しかけて、いつの間にかたいそうなつかれていた。
(病気が進行し退職してからも、その方から毎日のようにお見舞いメールが届いていた。)
販売行為自体よりは、会話を通して人を笑わせたり、元気づける事が好きだったんだろうなと思う。
だからこそ、それができなくなったことで、生きる喜びを占める大部分が奪われ、悲しかったのだろう。
でも母と社会の繋がりはそれで終わらなかった。
通院や入院を繰り返す中で、医療従事者のみなさんとの関わりが増えた。
そんな時、母は担当看護師さんや先生との会話を楽しんでいた。病院に会いに行くと、いつも看護師さんはどこ出身でね、〇〇が好きなんだって〜と楽しそうに教えてくれた。病人にもかかわらず自分の体調より、担当看護師さんの身を案じていたのがちょっと母らしくて笑ってしまった。
職場と病院を往復する私や父の身も案じていた。
「運転には気をつけてよ。右見て左見て、上は見るなよ事故るから!!(←ここは笑うポイントだったらしいが、それを言うときのドヤ顔がなんとなく気に入らないのでスルーしていた)」と何度も言ってきた。
人生の残り時間が分かったとして、母ほど他者を喜ばせたり大切に思える自信はないが、それでも後悔なく生き切るなら、多分自分のできる範囲で社会と繋がろうとするのだろう。
そしてその繋がりの中で、周りの人の役に立つことで生きる意味を見出し、エネルギーを貰おうとするのかも。
母の人生なので、幸せだったろうとか、わからないし、決めたくないので答えはないのだけれど、
少なくとも私は、母の元に生まれて、母と出会えて本当に幸せだったし
この幸せ、母のマインドを誰かに伝えられたらなぁと思うなどしている。
MEZ
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