見出し画像

怒って、苛立って、諦めて。そういうのを認める練習。

やはり、イライラする。同じままでいること。前のトレンドを引きずっているのを見たり、同調行為を見るのも。嘘っぽい偽善も。

世の中にも、自分にも。きっとそう。

イライラしながら、諦めている。人と理解しあうことを、分かり合うことを。

「話せば分かる」の犬養毅が生きていたなら。どれだけの話し合いと、和解と、向かい合うことが生まれたんだろう。

人と向き合わなくて済むのに、人を諦めるのは、きっととても都合が良い。

私はいま、どんなレンズで世界を見ているんだろう?

何なのかは分かってはいない。ただ、それを端から端まで味わいゆくだけ。きっと、自分のなかに色んなエネルギーが入り込んできていて、外野がとってもうるさい。そう感じている気がしている。

甘ったれ、複数の流れが起こる場で自分の流れを優先すること。自分もしているのに、目の前で起こると苛立つ矛盾。

このリフレクションジャーナルを下書きのまま温めながら、なんだろうって味わってみた。

私が必死に生きて、自分を知って、足場を固めようとして。無理はしていないのだけれど、その先に、例えば幸せとかそういうのを喉から手を伸ばしているのかもしれない。

結果として、無理していたのかもしれない。

時間があると、思考にエネルギーが奪われてしまって、この場にいられないから。やっぱり、見ないようにしているものは、なくならない。確かにそこにあり続ける。

そうやっていっぱいいっぱいになって。余裕があったり、ありのままでいたりする人に対して、胸騒ぎがしたり、刺激を受けたり、イライラしたり。そういう、幸せそうに見えた人たちを受け入れる余裕がないのかもしれない。

Feb 19, 2021. 23:59

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?