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未知への恐れを含んだままメタで見る

自動手記のように、今日はジャーナリングしていこう。

最近の自分は、全体性の発揮、ややトランス状態を通じてその状態にいるように思う。仕事に向き合うなかで、チャレンジゾーンとパニックゾーンのあわいは少し変わってきているし、未知への恐れを含んだまま別視点のわたしが同時に存在するようになった。

あらためて、誰かに伝えるということではなく、わたしがわたしのことばに包まるためのジャーナリングをしよう。思えば、そういう言葉にする活動を最近はご無沙汰だったようにおもう。

ふと、寂しくないけれど誰かといたい、そんな言葉が浮かんできた。

とするなら、これまでには寂しいから誰かといたい、そんなシーンがあったということだ。少なくともいまは、私に足りないなにかを埋めるために、誰かにそばにいてほしいのではない。

わたしはわたしのままで満たされているうえで、だれかといたい。だから、わたしのなかのお湯、お水を吸い取っていくような乾いたものは避けたい。

いまの環境に移って、私のスタンドは小さく折り曲げていた両腕両足を大きく広げ始めた。パワフルな私が、たとえ親しみづらいと思われても。繋がれないとしても。

わたしがわたしとして生きていく、それは譲らずにいきたいのだとおもう。

2020/02/05 7:45

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