資本主義の中心で
お忍びで、1年弱ぶりに実家に帰ってきた。
すっかり普段の一人住まいに慣れてしまい、実家が日常から非日常な場所になりつつある。
田舎はとても静かで、ゼンマイ時計の音が心地よい。家、庭、空の広さを実感し、自分の内側のスペースも安心して広がっていく。やっぱり、広い家で、風になびく木々を眺めながら過ごしたいなあ。
コーチングをしながら、春には「いま田植えの時期なのでおやすみです!」、秋には「いま稲刈りの時期なのでおやすみです!」
そんなことを言いながら、のんびり過ごしつつ、時々資本主義の匂いを嗅ぎながらはたらく。そんな生活もいいかもしれない。
***
あらためて、資本主義のど真ん中で感覚やこころを大事にしながら、果実を得ることの難しさ、人生の踊り場であることを感じる。
人生の踊り場や、自己変容には随分タフなのに、資本主義の真ん中でビジネスに関わることには覚悟を持ち続けていないらしい。いまでも逃げたくなることはたくさんあるし、自分にそれは必要なのか?と問いたくなる。
それだけ難易度が上の中くらいのビジネスに向き合っているのだから、私でなくてもそう感じることはあるかもしれない。根本的に、自分が難しいビジネスに向き合っていて、難しく感じるのは自分だけではない、ということを知っておく必要がある。
感覚に鋭敏で、丁寧にフィルムに映していく自分は、もうどこにもいなくなったりしない。自分のなかにいることは、知っている。いつでも帰ってこられる。
としたときに、そんな自分とどれだけの時間をともに過ごすのか、握手し続けているのかという問いが湧いてきている。
たぶん、ビジネスにおけるリベンジはもう半分は果たしている。わたしがわたしのままで、パフォーマンスを発揮し、他者とつながっていくこと。残していることは、責任の範囲を広げながらスポットライトに当たり続けることだ。
久しぶりにこうやって、リフレクションジャーナルを丁寧に向き合えている。少しずつ、時間軸がいまこの瞬間にチューニングされていく。
自分の持つパワーや気付きのちからに、称賛を送りたい。
2021/09/11 10:33 @茨城
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