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『ひとは最後はひとり』紐を解いて、結び直し

自分の本来性の、繊細さ。それが表に出てきているなぁと感じる。繊細さというのは五感で多くの情報を受け取る、感覚に長けているという意味での繊細さ。

良くも悪くもという表現自体、Judgementの質感があるが、いまの状態は本来性という意味では立ち返る、回帰する状態だと思う。

「人はいつか離れる」と、「ひとは最後ひとり」はイコールじゃないのかも、と思っている。だから、無理に離れなくていい、一緒にいたければ、その分、一緒にいてもいいのかも。

ひとは最後ひとりだよ、というのは自立性だと捉えていて。それは離れろということではなく、うまく依存を分散していきながら、でも私は私だよ、ひとりの人間だよ、という状態を維持するのかも。

でも、人と離れるというのは、とってもこわい。そうだよね?

小さい頃に母が家出をしたときの体験、両親の喧嘩を幼少期からずっと目の当たりにして、精神的に孤独になった体験。(あー、精神的に孤独を感じやすい、精神的なつながりがなくなるのが怖いのは、このあたりからかという自己理解もありつつ)

つながりの渇望と、ひとりでいたさと。少なくとも、受け入れられたい自分で臨むよりは、私が主役だよ、という関わりをするんだと思うんだよな。

Jan 18, 2021. 8:16

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