二度目の熱海を終えて
なんと言葉にしたらいいのか。アートは非言語だから、『分からない』、そういう世界。
このままデトックスしたい気持ち。人生に必要なものだけを周囲に置いておきたい。熱海から帰ってくると、妙に不要なものを捨てたくなる。足るを知るような。好きではないものは手放す。
現実につなげていくには。と思いながらも、翌日、翌々日と、時間をかけて染みていくのも感じている。
毎日来宮神社を訪れて、ああここはゲートであり、宇宙とのつながりなんだなと体感した。自己受容と、宇宙に根ざすこと。彼も宇宙に図書館を持っている人だから、必要なものを持ってくる。そこで、私の図書館への接続パイプが変わること、留学させられているい古都を感じる。
いつの間にやら内側のなにかに根ざして、自分の内側にたっぷりのスペースをもとに、げんじつを生きていきたい。
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アートは素直で人間臭いほどアート。コーチは人間離れしているとコーチだなって思う。これは自分が学んできたなかでの洗脳かもしれないし、コーチは他者の人生に介入することが前提だから、コーチのいのちの流れが少しズレてるととても気になる。コーチに対して、紳士の顔をした変態のような側面を見るとなんだか許せない気持ちになって、気持ち悪くて、そのなかにいられない。
わたしは、はじめからアーティストだった。表現者だし、物語るひとだけど、あらためてアーティストを目指して極めていきたい。そんな気がしている。プロとして活動するとかそういうイメージじゃなく。でも、ちゃんとプロデュースしてもらいたい。まずは小さな発信から。
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覗くのがこわいものがあって。いまこの瞬間を切り取ると、そこにはない。過去の出来事になりつつある。怒り、悲しみ。この現実で生きていくのに、思い通りにならないことが多すぎる。
コーチングも、セッションを誰とともにするのか。提供側としても真剣に眼差したい。スペースレスにならないように。
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私が物語るときは、たぶん、何かとチャネリングしている。ハイヤーセルフかなと思っている。自分が喋っているけれど、内側になにか流れているものを感じる。私を通じて世界に何を語りかけるんだろうか。
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ひとりになって寂しいのは、ひととともにある喜びやつながりを知ったから。これが、げんじつ。この流れに感情があり、感動がある。
一度はじまってしまったものは、もう出口を抜けるしかない。孤独感、消えてなくなりたいという気持ちが湧いてきている。
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そして今回、絵のプロセスの写真を全然撮らなかった。きっといまもプロセスは続いていて、まだスタート地点だから。
May 6, 2021. @ after the art program
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