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内側にいる10歳未満の女の子はいつまでも泣き虫なまま

新年早々、意図せず泣いてしまった。ただ話を聴いてほしくて声をかけて、問いをうけるなかで自分のブロックにたどり着いてしまった。

泣くこと自体は本来悪いことではないし、少しずつ、自分がそういう顔も出せる信頼できる人たちとの繋がりを広げていく。そういう面を出すことへのマルがつく。それが、私のこのブロックの浄化の道のりなのかもしれない。

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「そのように感じたことを、本人に伝えてみるのはどう?」

これは言うが易し、だと思う。去年通っていたコーチングスクールの講座内でも聞いた言葉だったと、後から思い返した。

言うことで進む。それは分かっている。でも、目の前の怖さにも丁寧に向き合い、無理に推し進めるではなく、自分の準備が出来たタイミングでやりたければやるのが良い。

私は、感情をなかったことにしたり、隠したりすることが多い。見えるのが恥ずかしい、出すと泣いてしまう。など。弱い感情を伝え方が下手だ。

小さい頃から私は泣き虫だった。小さい頃車内で私をきっかけに両親が喧嘩して、メソメソ泣いていたら父に怒られたこと。大学生のときにとてもツラいことがあって、メソメソ泣いてたら、母に家ではどれだけ泣いてもいいけれど外ではダメよと言われたこと。

自分のなかで泣くことは人が怒ったり、困ったりするもの。そういうのが自分のなかでの縛り、呪いとして残っている気がしている。

学生の頃、泣いている友人に対して、周りの子が何人も集まって慰めていた記憶が残っている。そのときの自分は、何も思わないのだ。正確には、慰めの言葉はかけられないし、どう関わっていいのか分からないので、そっとしておくことをしてきた。

落ち着いた頃に、なんともない顔で「落ち着いた?」と声かけして、真実を知ろうとする役回りをしていた。

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社会人1年目のときに、(自分目線の真実として)あまりに父に電話で追い込まれて、耐え切れずに号泣しながらこれまで父にどんな感情を抱いてきたのか、流れ落ちるように話したことがある。

そのときにはじめて、人は思った以上に話を聴いてくれるものなのだと感じた。それ以降、父は私への関わり方も、少し変わった。ような気がしている。

その時に伝えた体験は、父と私の親子関係のその後には良い影響があったと思う。それを、他の人に対してもしようとは、考えもしなかった。

おそらくこの父との対話のなかに、10歳未満の自分が存在していたんだろう。父を通じて、少し癒されたんだろう。このミニストは、きっといまもどこかで、どこかのタイミングで、それも多くのタイミングで、泣きたいのを我慢しているのかもしれない。

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泣く、ということは自分が丸裸になるような気がする。自分を中心軸に置いたとき、半径1kmくらいのところまで人の立ち入りを許可するような。

私自身は人の半径1kmくらいに入るのが好きだ。その人の丸裸を知ることができるし、そこに愛を感じる。

自分はするのに、されたくない。される側のときは、自分でコントロールできない感覚がある。布団に籠っているときに、気付いたら布団がはがされているような。最初は寒くてツライけれど、段々に慣れてくるし、それはそれで温かい。

その居心地の良さに執心するこわさ、不安も別にあったりして。思うがままに、人々への愛情を感じることで、怒られたり、思いもよらないことがおきたり。みんなのことを大好きでいたい。いたいのに、って感じ。これはまた別のブロックか、根本は重なるのかもしれない、またの機会にて。

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いっそ2021年は泣ける場を増やす、泣く機会を増やすを1テーマに加えてもいいのかもしれないなあ。これも、自分への執着、泣かない自分への執着を手放すプロセスなのかもしれない。

向き合うきっかけをくれたRくん、ありがとう。最初は、なに心えぐってくれとんねんって思ったけれど、結果として人の優しさや愛を感じたし、泣き虫な自分を許すことができました。話せてよかった。

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