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苦手だったまなざし

最近やっと人と目を合わせられるようになってきた。
これから友人になりそうな初対面の同世代と目を合わせるのがすごく苦手だった。わたしという1人の存在を正面から見るようなまなざしが苦手だった。

先生をはじめとする大人と目を合わせるのは簡単だった。わたしという個人を見るのではなく、生徒というカテゴリーの中にある自分へ目線を向けられているような気がするからだと思う。わたしは、生徒というロールプレイの中で発言することができた。

そもそも、自分の顔の形容に自信がなかった。世間のルッキズムに多大な影響を受けたからか、自分の顔の美醜を常に気にしていた。そして醜い自分の顔を隠したかった。

その相手は特にわたしが強く好かれたいと思う人たちだった。恋愛対象として好きな人や、これから友人になりたい/なるだろうと想定できる人からは好意を寄せられたかったから、自分の顔を見て欲しくなかった。

自分の顔が見られているかどうかの判断をするのが怖かったわたしは、相手の顔を見ることができなくなった。自分が下を向いているとき、相手が自分の顔をまじまじと見ることができるという事実はどうでもよかった。「見られている」という意識をなくしたかったんだろうな。


最近になってわかってきた。わたしという人間は魅力的で、それは顔の美醜に関わらないこと。世間に蔓延る美醜の判断にあまり寄りかからずに生きられること。顔が醜くとも、愛してもらえること。そして、そもそも醜い人なんていないこと。

さらに、わたしを外見によってネガティブにジャッジするような人とは付き合わなくて良いこと。むしろ、付き合わない方が良いこと。


わたしは成熟に向かっているのだと思う。安易に無意識に呑み込んでいた世間の常識を疑うことができるようになった。自分の周りにいる人を選べるようになった。自分を自分で肯定することができるようになった。

そうしたら、誰かからのまなざしに怯えなくて良くなった。目の前のあなたと目を合わせることができるようになってきた。

わたしはなりたいわたしに向かうことをやめない。ここで宣言する。どんなまなざしが向けられても、愛する人と愛してくれる人がいれば大丈夫。

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