きむ

上智大学グリーケア研究所専門課程修了・スピリチュアルケア師; University o…

きむ

上智大学グリーケア研究所専門課程修了・スピリチュアルケア師; University of Massachusetts, Amherst M.Ed.; UCLA TMF修了; IMTA Certified Mindfulness Teacher (CMT-P)

最近の記事

  • 固定された記事

悲しみ、喜びとマインドフルネス

こんにちは。きむです。 私は、グリーフケアとマインドフルネスを学んで実践している者です。 大切な人を急に亡くした私は、長い間、悲しくて孤独で惨めな思いを抱えながら過ごしていました。当時同じ体験をした人は周りにはそう多くはいませんでした。死別して7年経った頃、「もう一人で悩んでいないで、同じ思いをしている人と繋がってみたら?」という声というか想いが天から降ってきて上智大学グリーフケア研究所の門を叩きました。 同じ苦しみや悲しみを知っている仲間や応援してくれる先生方と出会え

    • グリーフとはZero Point

      私は、夫と死別してから変な心の癖がついたことに気づいた。それは、夫が亡くなった日を起点として、「今の自分」に向かって、ほんの数秒の間「ざーっ」と過去から今を振り返るという癖。洗顔をして顔を拭いたり、食器を洗いながらちょっと手を止めたりした時、本当に数秒のことなのだが無意識に「それ」をやっている時がある。何と言うか、走馬灯のようにイメージが向こうから自然にやってくる感覚だ。意識して「それ」をやってみようとすると、なぜかできない、、、。今回、初めてこの感覚を言葉に置き換えてみたら

      • マインドフルネスとは part 2 ー難しい感情との向き合う

        私は、マインドフルネス瞑想を始めてかれこれ15年という年月が経っています。普段は学校勤務(事務職)をしている身であり、平日は08:30〜17:30まで働いて帰路につく生活の中で日々ゆっくりと瞑想をする時間を確保できているかいうと全くそうではありません。一日20分寝起きに瞑想するのがやっとのこともあります。 細々と続けているマインドフルネスでしたが、私の人生を根底から支えてくれているその力や素晴らしさをいつか他者に伝えたいし、その人の人生を変えるプロセスに寄り添いたいという思

        • 空に浮かぶ雲

          マインドフルネスの実践では、自分の思考や身体の様々な感覚の存在を認めた後はそれに執着しないことが大切とされています。自分のマインド、つまり心の中は本来、汚れがなく無色無味無臭で透明な空間のようなもの、つまり空(そら)のようなもの。そして、あれこれと忙しく浮かんでくる思考は空に浮かんでは流れ、また浮かんでは消えゆく雲にたとえられます。瞑想などの実践を通じて雲が変化する経過を観察するうちに、やがては一つ一つの雲に執着することを辞め、雲の有無にはとらわれず空そのものの存在に気づいて

        • 固定された記事

        悲しみ、喜びとマインドフルネス

          マインドフルネスとは part 1

          昨今マインドフルネスという言葉は日本でも大変浸透してきました。マインドフルネスがカタカナ用語であり、日本語でしっくりとくる翻訳が私が知る限りではないため、何となく怪しい!と感じている人は少なくないはず。 マインドフルネスの実践に大いに助けられてきた私の「マインドフルネスをわかりやすく解説したい!」という熱い思いとは裏腹に、これがなかなか至難の技なのです。なぜなら、マインドフルネスの歴史はとてつもなく長いだけでなく(つまりブッダの頃から)、ルーツである仏教にもたくさんの宗派が

          マインドフルネスとは part 1

          「能動的な悲しむ営み」とは

          「はじまりの始まり」から引き続き、Thomas Attigの悲嘆の捉え方をもう少し詳しくみていきたい。とても大切なグリーフケアのあり方を示唆していると考えるからだ。 1. 医学的アナロジーは的外れ アティッグは、喪失を体験した人には「その人全体で悲しむ」プロセスがあるという。しかし、そのプロセスに対して「悲嘆を癒す」や「悲嘆から回復する」という表現が一般的に使われることに対しては強く異議を唱えている。彼は、グリーフケアの専門家ですら悲しむ営みについて「症状」「機能的精

          「能動的な悲しむ営み」とは

          はじまりの始まり

          私の人生って終わってる...。 大切な人を失って、本気にそう思った。四六時中それしか思えなかった。それはそうだ。Thomas Attig(トーマス・アティッグ)という応用哲学者は、『死別の悲しみに向きあう』(大月書店)という書籍の中で死別に際する苦悩を次のように表現する。私たちは「人生の中で特定の関係が際立った位置を占める場合、誰かが死ぬと、網のさらに広い一角がずれてしまい、私たちの人格の一体性が深刻な打撃を受ける」のだと。 アティッグによると、喪失の体験とは非常に多様で

          はじまりの始まり

          Maitri マイトリとは自分との友情

          Pema Chödrön(ペマ・チョドロン)という84歳のアメリカ人チベット仏教の尼僧がいる。離婚を数回経験したのちに出家したという波乱万丈な人生を歩んできた、アメリカ版寂聴さんのような方だ。彼女は、maitriという「慈」を意味する言葉について説明するとき、それは自分自身と偽りのない真っ直ぐな関係性を築くことだと言う。"Unconditional friendship with oneself"、つまり、無条件の友情を自分自身と築くことの大切さを説いている。 Pemaの本

          Maitri マイトリとは自分との友情