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写真芸術にも3通りある。


Is Photography Art? / 写真はアートか?

そのむかし写真科生だった頃こういう質問を浴びせられたのですが、あなたはどう思いますか?


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出典:Andreas Gursky『Rhine Ⅱ』 – Andreas Gursky


というわけで、こんにちは!九条いつきです。写真家/現代アート作家です。プロジェクトベース兼コンセプチュアルアート作品となるWebサイトを運営しながら、たまに東京大阪などで作品を展示/譲渡しています。

それでさっそく上の質問なのですが、今から思えばこれはかなり卑怯な問いですよ。先のエッセイで述べた通り、そもそも定義される先の「アート」自体が歴史的に様々な解釈を経てきている以上、一概には言えないからです。

反対に「写真」の方をみても、腕時計のような工芸品に近い場合もあれば、洒落たデザイン素材という場合もあるし、最近話題の街の落書きみたいなものもある。だから写真はアートだ、もしくは写真はアートではないというと、必ずどこかから反例がでるという具合です。

なので結論を先にいってしまうと、「写真」も「アート」の歴史的な解釈変遷の影響を受けている。つまり写真芸術には3通りある。という他ないのです。

答えは沈黙。

そこでここではアートにおける不毛な主導権争いに参加することは止めにしまして、歴史的にいって写真芸術にはどういった作品があったかを羅列して、やっぱり3通りあるんだなということをいっていきたいと思います。


…それとも、本当に3通りあると言えるのでしょうか?



0:科学技術としての写真


写真の場合、まず最初からつまづく要因として「歴史的に?そもそも写真は科学技術でしょう!」という意見があります。


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出典:ニセフォール・ニエプスによる窓からの眺め- Wikipedia


科学技術としての写真が発明されたのは1826年。フランスでジョセフ・ニセフォール・ニエプスという人が、自宅窓の風景を撮影したのが歴史上初めての写真だとされています。アスファルトを金属板に塗布して写した画像だそうです。

原型となったのは、美術の歴史にも関わってくる「カメラ・オブスキュラ」。カメラ・オブスキュラとは —— 外光が入らない暗室の窓に小さな穴を開けると逆側の壁に上下逆さまになった外の像が映るという現象、そしてそれができるようにした暗室のこと —— です。その記述は写真の発明より300年ほど遡って、あのダ・ヴィンチの手稿にもでてくるとか。

その映像を定着したい、として発明されたのが写真なんですね。

ですから写真を分解すると、外光を取り入れる「カメラ・オブスキュラ」つまりレンズ、そしてその像を定着する「金属板」つまりフィルム、この2つです。…それって「写真」かな?と思いますが、元々写真を観るということはフィルムを直接観ることでした。

ちなみにこの金属板は1回数時間かかる撮影で1枚しかできず、しかも繊細で、すぐ壊れてしまいかねないものです。すると貴重品にあたる。

ここが重要で、後にこの技術を後継のダゲールという人が銀盤写真術として完成させてダゲレオタイプと命名しました(1839)が、できた銀盤をうやうやしく拝見するというのは変わりません。

つまり


写真とは確かに科学技術であったけれども、できたものは職人技術的な工芸品といえるものだった


ということです。


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出典:タルボットによるカロタイプ- Wikipedia


ところで、後世に遺る歴史の中では「写真はこのように発明された。唯一無二の発明家!」と語られがちなのですが、実際には地域を隔てて同時多発的に似たようなものが発明されているということがあります。それが科学技術の開発競争ですよね。

そんな敗北者の一人、タルボットという人はイギリスで「カロタイプ写真術」というものを発明していました。発明時期はフランスのダゲールより先んじていましたが、その方法を隠匿していたため、写真の発明家という称号をダゲールにとられてしまったとされています。

しかしタルボットの「カロタイプ」には、致命的なしくじりがあったのです。

そのしくじりとは、なぜか定着できた画像がネガティブ像、ということでした。ネガティブ像は明暗が逆になっていて見た目が怖いです。こういう残念なところからも、写真の発明家という称号はダゲールが相応しいといわざるを得なかったのではないかと思います。

ところが、それでもめげずに研究を続けたタルボット。後にそのネガティブ像を反転させ、ポジティブへ変換する方法を発見します。

そして今日から見れば、このネガ-ポジ法の発明こそが、レンズを通した撮像をフィルムを通過点として紙へと定着させるあの「写真」の発明であり、


複製像こそが、写真である。


という「写真」のIDEAの創造だったといえるのではないでしょうか?


1:IDEAを求める写真


すると「写真」とは、銀盤を造る職人技術・手工芸品として始まり、そこから紙へ写しとった複製像の方を「写真」と規定していったのだと推理できます。

タルボットのカロタイプは科学技術としての伸びしろはあったらしく、後にネガティブ像を映す素材を廉価なガラスに換えた写真湿板(1851)、写真乾板(1871)へと発展します。コダックが写真乾板で創業して「You Press the Button. We Do the Rest.(貴方はカメラのシャッターを押すだけ。あとはお任せください)」と宣伝するのが1888年だそうですから、ダゲレオタイプの発明からわずか50年で写真は工業製品になっていったということです。

逆にいえば、それほどダゲール率いる手作業の写真技術が一気に広まっていたということ。歴史の授業では鎖国していたはずの幕末の日本が写真で残っているほどですから、驚きの伝播力ですよね。


出典:上野彦馬による坂本龍馬- Wikipedia

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出典:ナダールによる空中写真- Wikipedia


そんな大勢の中にあってひときわ名を馳せたとされる職人のひとりに、例えばナダールという人がいます。気球に乗ってパリを空中撮影したり、地下墓地を人工照明で撮影といったような目玉企画を連発しており、自らの腕を生かしたプロデューサーといった様子を今でも垣間見ることができます。

こういった純粋な職人技術と冒険、そして造られるまだ貴重な写真を見れば、評論家ヴァルター・ベンヤミンが『写真小史』(1931)で示唆したような、


「写真の最盛期は最初の20年であり、1850年代までが本物の写真である」


という考え方をもつのも無理はないのかもしれません。僕はここにひと通り目としての写真芸術、【IDEAを求める写真】があるように思えます。

純粋な職人芸・手工芸品こそが<普遍のIDEA芸術>(※『芸術には3通りある。』論にて解説)であり、写真がそのよういられた期間は非常に短かったという考え方です。


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出典:Ansel Adams『MONOLITH, THE FACE OF HALF DOME』- The Andsel Adams Gallery


とはいえ時代がくだり、写真が工業製品になっていったあとでも、個人の手を入れられる余地が多くある写真を手工芸品にしたいとする流れは今日においてすら途絶えておりません。その代表とも言えるのは、1932年から1935年にかけて活躍したアメリカのf.64グループの人達でしょう。

ちなみにf.64とはカメラの絞りのことを指しており、簡単にいうと数字が小さい方が明るくボケて大きいと隅々までよりシャープに写ります。通常の一眼レフで見かける絞りは大きくてだいたい22くらいですから、雑にいえばf.64は最もシャープに写すというような意味です。

というのも、後述しますがこのころは絵画的にデザインされた写真がブーム。それに対して、もうこれ絵なんよ、現実の複製像であることが「絵画」に対する「写真」のIDEA、アイデンティティでしょ、という今でも通じるような批判がなされており、そんな主張をしていた同じくアメリカの写真家アルフレッド・スティーグリッツにf.64のメンバーは影響を受けたとされています。

つまり彼らにとって写真芸術とは、画家が筆を握るように写真家がカメラを握り、画家が絵を描くように写真家が撮影現像プリントを行うものである。f.64メンバーのひとり、アンセル・アダムスはそれをピアノの演奏に喩えたのですが、その信念とは、


現実の複製像造りを持てる最高の技術でもっておこなう、それこそが写真芸術だ


ということだといえます。

この観念は今でも、おおよそ全ての写真家の基本的な考え方にあてはまるように思います。1934年にはフジフイルムの前身である富士写真フイルムができているのもあって、そのような観念がメーカーやユーザー、西洋だけでなく全世界の共通認識になっていったのではないでしょうか。

そこでこの観念が写真における<普遍のIDEA芸術>、【IDEAを求める写真】である、そう規定しておきたいと思います。


2:デザインを問う写真


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出典:Ernst SchneiderによるIris Arlan- European Film Star Postcards


さて、手工芸としてはごく初期の間に完成したかにみえる写真なのですが、進む工業化はむしろ写真家による個性の探究につながっていきます。それは<個性とデザイン芸術>(※『芸術には3通りある。』論にて同じく解説)としての「写真」の台頭と思えます。

そして<個性とデザイン芸術>としての「写真」には2通りある。としたいと思います。ひとつが絵画的なデザイン、もうひとつが写真的なそれです。

そのうちごく初期にあったのは、前者。


工業化が始まった写真、現実の複製像たる写真には、写真家の個性を加え、絵画のようにすることでアウラを保つ。


これを「ピクトリアリズム」といって、現代のPhotoshopにもつながるような技法が1880年ごろから目立つようになったとされています。

この頃の作者は特に誰と取り上げられることが少なく僕もあまり知らないのですが、例えばエルンスト・シュナイダー。絵画的なポートレートが印象的で、調子を全体的にボカしてキラキラさせる、要するにインスタ映えです。

ピクトリアリズムは今のインスタグラムより遥かに手間がかかって難しい手技が必要だったので、よっぽど職人技術による<普遍のIDEA芸術>的な写真のありかたではないのかとも思います。

しかし先述したように、これは現実の複製像である「写真」ではないと喝破されたことで写真芸術としては退潮していきます…といっても、こういったデザインは広告写真などに脈々と受け継がれ、最新のデジタル技術によって再度大勢力を成すことになるのは御存じの通りです。


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出典:ブレッソンによるサン・ラザール駅裏 – Foundation Henri Cartier-Bresson


ところで<個性とデザイン芸術>としての写真には、先述の通りもうひとつの方向性、写真的なデザインがあると思っています。そしてその代表は「決定的瞬間」の提唱者、アンリ・カルティエ=ブレッソンであるとしたい。ブレッソンの名前を知らなくても「決定的瞬間」の方は今でもたまに見かけますよね。

では「決定的瞬間」とは一体なんでしょうか?

それは写真が工業化していった時に何がおきたか、を考えると分かりやすいと思います。写真の工業化、それはコダックが宣伝していたとおり、プリントは専門の出力業者に任せるということです。かのブレッソンも自身でプリントはあまりせず、信用のおける人間に任せていました。

では写真家はどこでその個性をだすのか——?というと、もちろんフィルム造りで、です。


無限に思える時間の中でどの瞬間を切り取るか、どの画を選ぶのか、その切り取り方にこそ個性がでる。


それが写真的なデザインであり、その一点突破のために工業化の利点を最大限に活かします。選択と集中というわけです。

今でこそ「決定的瞬間」は言い尽くされた言葉のように思えますが、これが先の【IDEAを求める写真】とはまた別の「写真」である、というように根付いたのには、カメラがライカのように小型化し大衆化していったのと同時に、報道や写真雑誌の記者たちが努力した結果も多大にあったのではないでしょうか。

アメリカの写真雑誌『LIFE』の創刊が1936年、ロバート・キャパの有名な『崩れ落ちる兵士』がそこに転載されるのが1937年、1947年にはブレッソンが写真家集団「マグナム・フォト」を創設ということで、その間には世界大戦が挟まっていてルポルタージュが量産されていました。だから戦後出版されたブレッソンの『決定的瞬間』(1952)が説得力をもったというわけだと思います。


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出典:Robert Capa『SPAIN. 1936. Spanish Civil War.(崩れ落ちる兵士)』- Magnum Photos


そして今では、僕達がみている写真のほとんどが上記二種の<個性とデザイン芸術>としての「写真」です。職人芸たる手焼きの写真を観る機会もほぼない普通の人にとって、「写真」とはデザイナーたる写真家の個性・センスをみるものという方が自然かもしれません。

そういったことから、ラベルしてこれをふた通り目の写真芸術、【デザインを問う写真】としておきたいと思います。今の主役は【デザインを問う写真】、そういえるのではないでしょうか。


3:複製技術との邂逅としての写真


さて改めてリフレインすると、現代は【デザインを問う写真】が大半を占めているようにみえます。デジタル技術で逆襲する広告写真の絵画的なデザインと、老舗感を漂わせる報道写真の瞬間デザイン。

しかし先のエッセイでミュシャや歌麿を擁するとした<個性とデザイン芸術>を再度考え直すと、どちらかというと絵画的にデザインされた写真の方が理解しやすい。こちらは職人技術からの発展もあります。

逆に瞬間デザインには疑問符がつきます。幸運だけではないデザインが本当にあるのか?さまざまな選択も、編集者のような別人が行うこともあるのでは?そこに「個性」はあるのか?…という。

これはなぜかというと、「決定的瞬間」の出所が職人技術からではなく、むしろ写真とはなにか、現実の複製像である写真とはなにか、という疑問からだからなのではないかと睨んでいます。

それは複製技術であることを改めて自覚した「写真」、アートと複製技術との邂逅である<動機と進化論芸術>(※これも『芸術には3通りある。』論にて解説)につながるところから派生している。

言い換えれば、


「決定的瞬間」が成立する前に現代アートとしての「写真」の萌芽があった


のだろうと思うのです。それはいわば【複製技術との邂逅としての写真】。


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出典:Man Ray『Rayograph, 1922』- Tate


その萌芽の一例が、1920年代当時美術界で勢力があった「シュールレアリズム」、それを写真で表現しようとした「フォトグラム」だと考えています。

フォトグラムとは、印画紙の上に直接物を載せて映していくというシュールな作品形式。その作者で有名なのが、デュシャンと関わっていたマン・レイです。

そしてやはりデュシャンと親交のあったアルフレッド・スティーグリッツもその一派に与すると考えられ、彼が創刊した雑誌『カメラ・ワーク』で1917年に紹介したポール・ストランドも「シュールレアリズム写真」とされています。

またあるいは、先述のベンヤミンによって再評価されたウジェーヌ・アジェ。このアジェという人は自身で撮影したパリ市街の風景を画家に素材として売っていた一職人だったのですが、この一種カタログ的な写真がシュールレアリズム的であると評価されました。

これら写真界の「シュールレアリズム」とはなにを意味しているのでしょうか?


出典:Paul Strand『Wall Street, 1915』- Wikipedia

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出典:Eugène Atget『Untitled』- MoMA


これらをひとことで表すと、


現実の被写体をその複製像である写真として提示しながら、その背後に透けて見えるより上位の現実(=シュールレアル)を表現する手法


というような意味だといえるのではないでしょうか。

ここで先の「決定的瞬間」に戻ると、それは単に衝撃的な瞬間を切り取るというだけでなく、その背後に透けて見えるより上位の現実を見せるというシュールレアリズムの考え方が一部取り入れられているのではないかと思われるのです。こうしたルポルタージュの神通力は、90年代・湾岸戦争時まで継続したのだろうと考えています。


出典:Nick Ut『The Terror of War』- Wikipedia

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出典:Bernd Becher and Hilla Becher『Pitheads』- Tate


3通り目の写真芸術、【複製技術との邂逅としての写真】はその後、アジェがとったようなカタログ的手法を重視していきます。

アウグスト・ザンダーによる戦前のドイツ国民を社会階層の別なくポートレートにしていった作品『Antilitz der Zeit(時代の顔)』(1929)、戦後になりますが同じくドイツのベルント&ヒラ・ベッヒャー夫妻が工業建築物をタイポグラフィーとしてカタログにしていった作品などがあります。


+0:混乱する時代の複製像としての写真


以上で3通りあるとした写真芸術が全て出てきました。

しかしこれまでの説明には、実はワザと目を逸らした部分があるようです。これらの説明には、額面通り受け取ることができない問題点が多々あるように思われるのです。

ここではそのうち3点を挙げておきます。

まず1点目。そもそも「アート」自体の問題として、


<個性とデザイン芸術>までの考え方と、現代アート<動機と進化論芸術>には大きな隔たりがあり誤解を招くことが多い


ということがあります。

先のエッセイで述べた通り、近代化による複製技術の普及がそれまでの<普遍のIDEA芸術>、アウラ芸術を押し除けていくという環境の中で、当事者としての芸術家がとる進化の道筋という所から<動機と進化論芸術>は発生をしています。ですが観賞する側は依然、IDEA・アウラ芸術の文化に慣れ親しんでいるため、そこの把握がしづらい。

それは当事者にも反響し、例えば上記の「シュールレアリズム」も、サルバドール・ダリが描くような「シュールレアリズム」とはなにか毛色がことなってしまっています。なぜなら美術界の「シュールレアリズム」は、現実に焦点をあてるというより、上位の現実とは夢のような像であるとしてそれを絵画的なデザインで表現をすることをいうようになっているからです。

ですので過去「シュールレアリズム写真」とされた作品に対して今の人がみると、やけに現実的な写真じゃないですか?という感想になります。


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出典:Alfred Stieglitz『The Steerage』- MoMA


また、「シュールレアリズム写真」に近い立場だったスティーグリッツから影響を受けたはずのf.64。彼らは【複製技術との邂逅としての写真】というよりは純粋に職人的な作品づくりを推奨しているし、その発展形はむしろ絵画的なデザイン写真に近いということになります。

さらに2点目。


「写真」のIDEAとは現実の複製像である、としたことが混乱を招く


ということがあります。

絵画的なデザイン写真の方が職人技術からの発展があるため理解がしやすいはずが、それが見かけ上は否定されてしまう。反対に瞬間デザインは<動機と進化論芸術>の思想を根底においているということでないと成り立たず、それが絵画的なデザインに流れていった先には、総合演出された報道写真が現実を曖昧にしていきます。「決定的瞬間」と目されていたキャパの『崩れ落ちる兵士』はやらせだったことが判明します。

またはカタログ的手法をとる【複製技術との邂逅としての写真】にしても、複製技術そのものである写真が、アートと複製技術との邂逅である<動機と進化論芸術>になるのか?ただ現実が写っているだけの「写真」は「アート」か?というまた判りづらい立場に自らを追い込んでいきます。

事態はさらに悪いことに、ここに3点目となる


混乱を窮める政治の問題が反映される


という問題が絡んできます。

なぜなら【複製技術との邂逅としての写真】は社会主義との関わりが深かったとする論調があるからです。例えば上述したザンダーのポートレートが制作された背景には、平等な社会を実現しようというルソーからの社会主義思想がありました。

しかしこの左翼的かと思われる思想は発展して国家社会主義、民族主義、そして最終的には極右と目されるナチスが生まれていきます。するとザンダーの写真作品は事実ナチスから弾圧されます。

とするならば、【複製技術との邂逅としての写真】は左翼で【デザインを問う写真】は右翼なのか?という、かなりキナ臭い話になってきます。「写真」はプロパガンダとしてだけその存在を許される。「前衛芸術?そんな3通り目など認めない」「牢屋に入れましょう」ということになります。


出典:August Sander『Unemployed Sailor』- MoMA

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出典:Kodachrome photo by Chalmers『Butterfield of Shaftesbury Avenue from Piccadilly Circus, in the West End of London, c. 1949』- Wikipedia


…というようなわけで当初の思惑通りにはいかず、単純に「写真芸術には3通りある。」とするには難点が多々あるということでした。

そしてここに見られる混乱と歪みは、現実社会が見舞われたソレそのものだったのではないでしょうか。現代においても引き続きこれらが「写真」というものを分かりづらくさせている原因たちのように思えます。

混乱と歪みに満ちた現実の複製像・「写真」がやや落ち着きを取り戻すことになるのは、現代アートたる<動機と進化論芸術>が徐々に認知されていく戦後、ポストモダン時代。

そこでここからは、3通りあったはずの写真芸術が、ポストモダン時代にどうなっていくのかを見ていきます。


+1:ポストモダンとカラー写真


ポストモダンとはいつ頃を指すのか、どのように定義するのかは例によってブレるのですが、近代とは<個性とデザイン芸術>が支配した時代であるとすると、ポストモダンとは複製技術との邂逅である<動機と進化論芸術>が徐々に一般化していった時代であるといえると思っています。

それは「個人」の尊厳が奪われる、非人道的な戦争が経験されたことと無縁とは思えません。たとえ優れた英雄が一人いたとしても、機銃掃射や原爆には勝てないであろうというような事態が現実におこった。それにより


「個性」への幻想が消滅し、複製技術の脅威がようやく一般化された結果、現代アートに対する認知が得られた


というようなことがあったのではないでしょうか。写真芸術もそれを反映していきます。

また、大きく影響したのはカラー写真の普及もあると思います。写真=レンズ+フィルムであり、この稿はフィルムの顛末に着目しているのですが、カラー写真がポストモダン的であるというのは、特に日本にとって顕著です。


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出典:樹木希林『美しい方はより美しく、そうでない方はそれなりに写ります』- Wikipedia


実は技術としてはフジフイルムも戦前から持っていたそうなのですが、それはあくまで軍事用。一般に出だしたのは戦後になってから、だからです。1946年、フジカラーサービス(株)の前身である天然色写真(株)が設立され、1958年に一般用カラーネガフィルムが発売されます。(注1)一方のコダックは1935年にコダクローム(カラースライド)、1942年にはカラーネガを市販しているので一歩先んじています。

ですからカラー写真は戦前からなくはなかった。とはいえ大戦時のルポルタージュはモノクロが大半だと思いますので、一般大衆にとって写真に色がつき始めたのはポストモダンに解放された戦後になってから、というようなイメージで大体あっているように思います。

そして


カラー写真普及によって「写真」とは現実の複製像であること、「写真」とは工業製品であること、がより鮮明になった。


この点が戦前との大きな違いになります。

モノクロ写真は現像もプリントも個人で手軽に行えるのに対して、カラー現像は劇物を取り扱う必要があって個人では扱いづらい。するといよいよ「写真」は手作業による職人的な【IDEAを求める写真】から遠のいていき、全体が【デザインを問う写真】、【複製技術との邂逅としての写真】にシフトしていったのではないでしょうか。


+2:絵画的なデザインに収斂していく写真


こういったことから戦後、ポストモダン時代における「写真」とは【デザインを問う写真】、【複製技術との邂逅としての写真】にシフトしていったと考えますが、再度リフレインするとその過半数は【デザインを問う写真】が占めているように思われます。

そんなデザイン写真のひとつに、


作家がその表現のため、「素材」として写真を使う


という形式を数えたいと思います。工業化により安価でカラー写真を買えるがために可能となった形式。コラージュ作品もそこに分類します。

なかでも有名な作者はアンディ・ウォーホルである、とここでは言っておきたい。もっともウォーホルはシルクスクリーン、つまり版画なので写真とは異なるという意見があると思いますが、複製像を重ねていく作品形態は写真をベースに元画像が分からなくなるほど加工していった作品というような感触を抱くのです。ウォーホルは現代社会と結びつく複製技術をその作品に取り入れているところに特徴があります。


出典:Andy Warhol『Three Marilyns』- Andy Warhol Kyoto

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出典:Cindy Sherman『Untitled #92』- MoMA


尤も、戦後資本主義陣営に与した国にとってデザイン写真とは、前述したピクトリアリズムからの流れを汲む広告写真、これがほぼ9割を占めたといっても過言ではないと感じます。そこから生まれた写真芸術を「セットアップ」と称するそうです。

この「セットアップ」とは


カメラで撮影されてはいても、絵画的に「演出」された写真


のことです。

例えばシンディ・シャーマンという写真家は今では当たり前となっているセルフィーの先駆けと目されているのですが、その画面造りは架空の映画の登場人物になったりドラマのワンシーンを模すというものです。それが写真芸術とされる。

するといっけん広告写真とセットアップとの違いはスポンサーがいるか否かだけの違いにも思えますが、よく考えればたいていの自然風景写真やポートレートはこの作り込まれた画面造り、セットアップの系列とすることができます。それらを写真芸術としなければ、過半数を占める【デザインを問う写真】を無視することになります。

ところで、こういう「総合演出」には見覚えがありませんか?キャパの『崩れ落ちる兵士』ですよね。キャパのやらせはスキャンダルになりました。ところが、シンディの作品は初めからフィクションだと分かっているため、問題にはなりません。

ポストモダン時代では「決定的瞬間」が抱えていた問題がこういった形、写真という形式でありながらそれはフィクションであるという共通認識をもつという形をとることで解決されているといえるのではないでしょうか。

そして過去、絵画的と写真的の2通りがあるとした【デザインを問う写真】は、現在絵画的なデザインに収斂していっている、僕にはそのように思えます。

しかしそうすると現実はどこへいってしまうのか?ということになります。「写真」は現実の複製像であるということにアイデンティティ、「写真」のIDEAをもつのではなかったのか?

そこでそんな現実が希薄になってしまった「決定的瞬間」の後継にくるのが、【複製技術との邂逅としての写真】、現代アート写真ということになるのだと思っています。


+3:現実を表現する方法を模索する写真


さて、【複製技術との邂逅としての写真】は先に述べた通り、カタログ的手法に見出されていきました。

それはカタログ的な表現が被写体を写すことに観点を置き、恣意的な画面構成を行わないからであり、それがより強く現実を意識させるからではないかと思います。現代アート写真家は「決定的瞬間」を求めずただひたすら記録をとります。

それが、70-80年代アメリカで物議を醸す「ニューカラー」になるのだと思います。カラー写真を初めて写真芸術とした、とされています。


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出典:William Eggleston『Untitled, c. 1968』- Eggleston Art Foundation


今ではそんなことを不思議とも思わないかも知れません。ですが、カラー写真とはある意味で<普遍のIDEA芸術>を蔑ろにするポストモダンと密接に結びついていることに留意すると、その衝撃が想像できます。

こんな写真が芸術?…という現代アートでよく見る光景です。

その代表者がウィリアム・エグルストン。撮影当時の南部アメリカの生活、文化あるいはその時代を作品の中にとじこめるため、


普通の生活を普通のカメラでただ普通に撮っていくことで、一種のカタログ的表現にする


ということをします。

それが写真芸術として発表されているところに拒否感を抱く人も多いかも知れませんが、僕には「シュールレアリズム」を旨とする【複製技術との邂逅としての写真】としてはこれ以上ない程ストレートな制作手法をとっているように思えます。アジェの制作手法を今度は意図的に行なっているんですね。

それを認めるか認めないかはあなた次第、ということなのですが、留意していただきたいのはそこに政治的な軋轢はあまり感じられないところだと思います。むしろアメリカンカルチャー賞揚の気味もある。レッドパージの影響を受けたというような話は聞いたことがありません。これも、戦前とは様相がことなる例として挙げられるのではないでしょうか。

ところで、このようにストレートな制作手法が公開された場合、後の人は「個性」を際だたせるため作品に必ずヒネリを入れないといけなくなります。例えばトーマス・ルフは一言でいうなら、ありとあらゆる撮影方法を駆使したスタイルですよね。東京で展示会をやっていたので見に行きました。

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出典:Thomas Ruff『Nudes yv16, 2001』- artnet

面白いのは、ここまでくるとデジタルフォトが作品に登場することです。それに伴って、


複製技術と不可分になっている現代を表現するために写真をその表象として使う


ということがおきています。ウォーホルを思い出しますね。そして以前あった、複製技術そのものである「写真」は<動機と進化論芸術>になるのか?という疑問が、まさに逆回転になっています。

このように、様々な手法を駆使して「現実」を写そうとするポストモダンの【複製技術との邂逅としての写真】。日本ではまだほとんど認知されていないところがたまにキズですが、現実の複製像こそ「写真」だと考える写真家は自ずからこの制作手法に至らざるを得ないのではないでしょうか。


EXTRA:写真芸術にも3通りあるか?


ということで、当初3通りあるとした写真芸術は混乱と歪みに満ちていたのですが、ポストモダンに時代が遷り、それが緩和されていくという様子をみてきました。

しかし改めて上に挙げたポストモダン作品を観てみると、デザイン側に挙げたものを含め、それらがそれぞれの時代の表象ということもできることが分かります。なぜなら時代の表象とは、エグルストンが実践してみせたように、デザインしきれていない、意図されない所にでるからです。

すると「上位の現実」、時代を表現するのが【複製技術との邂逅としての写真】であり、現代アート写真と呼ぶべきものであることを考えると、


全ての写真が現代アート写真に値するか否かを決定するのは、鑑賞者の態度に還っていく


ともいえます。

とするならば、果たして本当に写真芸術は3通りあるといえるのか?

それもまた鑑賞者側の判断に委ねられるということになり、現実の複製像である「写真」とは、「アート」の中でもやはり特殊な位置を占めているといえるのではないかと思います。

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注1)情報源としたフジフイルムコーポレートサイト閉鎖のため以下の記述は削除「1946年、東宝映画『11人の女学生』のタイトル部分に初めて使用され、1948年にブローニー判富士カラーフィルムが市販されます。」

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※一部加筆修正しました(2021.3.11)

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参考文献はありません。「アート」は種類分けできるのでは?という考え方も最近になって出てきている意見になります。

例えば

「自分だけの答え」が見つかる 13歳からのアート思考
末永 幸歩 (著)

いま、論理・戦略に基づくアプローチに限界を感じた人たちのあいだで、
「知覚」「感性」「直感」などが見直されつつある。

本書は、中高生向けの「美術」の授業をベースに、
- 「自分だけのものの見方」で世界を見つめ、
- 「自分なりの答え」を生み出し、
- それによって「新たな問い」を生み出す
という、いわゆる「アート思考」のプロセスをわかりやすく解説した一冊。

「自分だけの視点」で物事を見て、
「自分なりの答え」をつくりだす考え方を身につけよう!




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