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このご時世にあえて転職して教員になった話⑦【講師編】

小学校教員として働いている人にはいくつか種類がある。

正規採用職員と、講師である。講師はさらに都道府県採用の講師と市や町の採用講師に別れ、それぞれ待遇が違う。

大まかに言うと、社員とバイト、契約社員の違いである。

私は小学校2種免許を通信で取得して、すぐに最寄りの教育委員会に講師登録を行なった。

まずは講師としてスタートし、ゆくゆくは正規採用になる、という目標を立てた。

講師は県採用は月給制でフルタイム、市町村採用は時給制でパートタイムのところが多い。

給与は経験、年齢で異なるが、正規採用よりはかなり低い。フルタイムでざっくり年収は300万未満くらい。
それでも県採用ならボーナスは出るし、田舎の生活には困らない待遇だ。

前話で講師として小さな小学校の三年生担任として赴任したことを書いたが、

ここで大事なのは、講師だろうと正規採用だろうと子どもたちにとっては同じ先生ということ。

職場内での立場は子どもには関係ない。

講師として働いて感じたこと

初めての教室、初めての子どもたち、初めての授業、そして初めての職員室。

小学校の1日はとにかく忙しない。

始業は8時からだが、子どもたちは7時半には登校してくる。

それを迎え入れるために職員は早めに出勤するのが慣例だ。

教室に入り、連絡帳をチェック。
用事などで、早く下校するなどの連絡他、トラブルがないかを確認。  

朝の会で出欠、健康観察をして、一日のスケジュールを発表し、見通しを持たせる。

宿題を回収し、休み時間や空き時間に丸つけをして返却。

時間があれば休み時間は運動場に出て子どもたちと遊ぶ。 

最初は身体が辛いし、正直嫌だったが、遊ぶことで培われる子どもたちとの連帯感が、特に低学年、中学年には有効と分かった。

時々頑張って遊ぶようにしていた。

授業は基本的に担任が全ての教科を行う。
英語は英語指導のALT、JETが授業をやってくれるが、学校によって異なる。

学校によっては音楽専科や書写の専科をする先生がいるところもあり、その時間は空き時間になる。

例えば水曜日は6時間。
算数、国語、体育、理科、図工、総合
という時間割だったとする。

講師、しかも学期途中で病気で急遽ピンチヒッターとして入ったので、教科がどこまで進んでいるかの確認から始めなくてはならなかった。

朱書き教科書を見ながら、冷や汗を流して授業を行う。

内心、こんなので大丈夫なのか?
と、罪悪感に似た焦りを感じていた。

昼には給食。三年生ともなればなんでもできるが、やはりオカワリ競争など教師の出番はある。

早めに食べて子どもたちの様子を見る。

明らかに食欲がない子はいないか、友達と仲良くできていない子はいないか。

昼休み。宿題の丸つけを終え職員室へ。
先生方と情報交換。

午後の授業を終え、下校。

下校指導と見送り。

やっと子どもたちが帰って4時前。

ここからさらに仕事が始まる。

まず、翌日の授業準備。プリントなどの印刷。学級だよりの作成などなど自分の学級に関する仕事を行う。

定時はとっくに過ぎている。

講師にはほとんどの場合、校務分掌と呼ばれる役割がないことが多いが、それは名ばかりで、いろんな先生方の手伝いを任される。

校内行事の準備、校外学習の手配、校内研究の資料づくり、印刷物の手伝い、草刈りにゴミ捨てなど・・・

子どもがいない時間の仕事量にはかなり驚いた。

大体6時から7時には学校を出る。

クタクタだ。 

しかし、トラブルなく1日を終われた時は爽快だ。 

同時にこうも思っていた。

これは正規採用にならないと割に合わないぞ。

仕事量はほとんど正規採用の先生と変わらないのに給与は明らかに安い。

責任は同じなので明らかに割には合わない。

それでも何故教員なのか

これだけ忙しくてキツくて何故教員なのか。

やはり子どもたちと触れ合う仕事だからだと思う。

子どもたちのちょっとした成長に喜べること。

「先生、できたよ!」

成長をまわりの先生と分かち合うこと。

その成長を保護者と分かち合って感謝されること。

この醍醐味なしには続かないと感じた。

そしてこの醍醐味こそが、ブラック化の要因でもあると感じた。

子どもたちの為を思って、もっと!もっと!とエスカレートして来たのが現状だ。


何の為?という行事がたくさんあるのは、「そこでしか輝けない子どもたちがいる」から。

授業研究に時間と労力を費やすのは、より分かりやすく、どんな子にも有用感を感じてもらう授業をするため。 

働く保護者のために電話をする時間を遅くまで待つこと。

決して、ブラックになりたくてやっているわけではない。

ただ、もう自分たちでは広げた枝葉を引っ込められなくなってしまったのだと思った。

コロナ禍がそれを証明してくれた。

ほとんどの行事、集まりがなくなり、気づいてしまう。

なんだなくてもいいじゃないか。と。

しかし、今またコロナ禍が収まろうとしているとまたもとに戻そうとする動きがある。

教員自らには働き方改革はできないのかも知れない。

だから民間から来た我々が必要なのだ。と、今も思っている。

そして、公務員としての地位はやはり安心感があるから踏ん張れるのは間違いない。

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