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橘川幸夫の深呼吸学部

橘川幸夫の活動報告、思考報告などを行います。 ★since 2016/04 2024年度から、こちらが『イコール』拡大編集部になります。 『イコール』サイトはこちらです。 h… もっと読む
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2014年4月の記事一覧

ロッキングオンの時代。第九話 反省会議

 創刊号に対する渋谷陽一の落胆ぶりは大きかった。デザイン面でも、内容面でも、販売面でも、僕たちが思っていたものとは程遠かった。「とにかく出す」ということだけが優先されて、世の中に自信を持ってメッセージを送り出すというものにはなっていなかった。特に、デザイン面でのクォリティの低さ、事務的でスピリットのこもってない本文レイアウトに渋谷は怒っていた。

急激に成長したものは急激に衰退する。表面の成長に本質の成長が追いつかないからだ。本質が成長するものだけが、持続的に成長できる。

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「深呼吸する言葉」の心構え

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出版構造論ノート(1)雑誌部と書籍部

僕は長い間、出版の世界の中にいて、出版の内容もそうだけど、制作されるまでの構造や伝達されるまでの構造に最初から関心があった。インターネットという情報の新しいインフラが登場して、古い構造はどんどんきしんできた。新大陸では旧大陸の商習慣や経験などが尊重されないのは当たり前のことだろう。 ものを書く人間としても、さまざまなメディアと付き合い、編集者と付き合ってきた。インターネット以前と以後では、編集者の気質や方法論も大きく変化したことを知っている。以前を知る人間としては、以後の現

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SONYの「相棒」は 未来の白物家電だった。

かつてSONYが目指したものは何であったのか。初出・社団法人日本経営協会 機関誌「OMNI 2010年4月号に掲載  SONYは、戦後社会の発展の段階で、故・盛田昭夫と故・井深大のコンビにより、オリジナルな部品開発、製品開発、商品開発へと確実にステップを駆け上がっていた、日本が誇る企業であった。

マーケティングは何処へ行く★対談=高橋朗+橘川幸夫

━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 標題=マーケティングは何処へ行く(第一回)対談 高橋朗+橘川幸夫(2012年6月) 掲載媒体=メタチェットで実験 執筆日=2012.06 対話相手=高橋朗 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ 1.マーケティングは何処へ行く橘川:今日は、日本企業の一番大事な要素である、商品開発・サービス開発の現場の話をしたい。僕は学生時代に雑誌メディアの世界に入って、30代になってから企業の付き合いが増えて、いろんな業種のコンサル

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ロッキングオンの時代。第八話 ■書店開拓

 創刊号が出来たので、協力者が手分けして、都内の書店に持ち込み、配置をお願いする作業が始まった。僕は割と、こういう事務作業が好きな方だったので、あちこちを廻ったが、断られることが多かった。特に書店は相手にしてくれない。今なら、いろいろ情報を集めて、あらかじめ持ち込みを認めてくれる書店が分かるが、当時は、とにかく手当たり次第にあたるしかなかった。ロック喫茶や、楽器屋さんは、好意的に置いてくれる所が多かった。僕の担当でいうと、御茶ノ水の石橋楽器、銀座の山野楽器、ヤマハなどは置いて

ロッキングオンの時代。第七話 創刊号

■創刊執筆者  さまざまな初体験と試行錯誤を経て、ロッキングオンが創刊された。  ロッキングオン創刊号(1972年8月号)の目次は以下である。定価は150円だが、表紙回りには定価の記入がない。入れ忘れたのだろう。本文の奥付に「定価150円」とあるが、発行日はどこにも書いてない。 April Fools Dayロックコンサート(無名バンド総決起集会)を開いて 加藤文子 アビー・ロードへの裏通り 松村雄策 アリス・クーパー試論(1)ヤードバーズより遠く離れて 渋谷陽一

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ロッキングオンの時代。第六話 営業活動

僕はミニコミ程度のものは作ったことはあったが、商業誌というものがよく分からなかった。 「ようするに、雑誌を作って書店で売って、広告を入れればよいんだ」  渋谷の単純な説明も何か危なっかしい。  渋谷と僕は新宿から中央線に乗り高円寺に行った。僕は四谷で生まれて四谷で育ったから、山手線の外側というのは未知の領域であった。父方の祖母が板橋の滝野川にいて、子どもの頃からよく遊びに行ったぐらいだ。母方の祖父母とは四谷で一緒に暮らしていて、母方の親戚も「目黒のおばさん」とか「麹町のおば

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ロッキングオンの時代。第五話 ロッキングオン創刊

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ロッキングオンの時代。第四話 大学生・渋谷陽一

大学生・渋谷陽一  渋谷陽一は、1972年4月に明治学院大学に入学した。2年間浪人していたことになる。ロッキングオンの創刊準備をしている時期なので、僕らは「これからやるぞ!」と意気込んでいたのに、わざわざ大学に入る渋谷の気持ちが分からなかったが、すぐに学校には行かなくなった。ロッキングオンの仕事で忙しいこともあったし、資金稼ぎのバイトなども忙しかった。だいたいが渋谷は勉強が嫌いであった。  ある日、渋谷が大学のリポートを出さなければいけないのに出来なくて、困っていた。それ

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ロッキングオンの時代。第三話 タイムス

 ロッキングオンの創刊メンバーというと、渋谷陽一、岩谷宏、松村雄策、橘川幸夫であるが、最初は、もっと混沌としていた。渋谷が中心であったことは確かだが、渋谷がそこら中に声かけたので、いろんな連中が集ってきた。レボルーション時代の投稿仲間である岩谷宏、ソウルイート時代の仲間やら。渋谷は仕事でライナーノーツを書きはじめていたので業界関係者にもつながりがあった。ミュージックライフの仕事をしていた石野真知子が創刊においては唯一のプロということでデザインやレイアウトを担当した。

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ロッキングオンの時代。第ニ話 レボルーション

 「渋谷くんですか?」と僕はDJブースの男に聞いた。 「ああ、そうです、橘川くんですね」と中の男は答えた。  渋谷は、日本人離れした骨格と毛深い雰囲気の男であった。えらく痩せているようにも思えた。洞窟のような眼からギラっとした視線を向けた。何か、アメリカのロック・ミュージシャンのようですらあった。渋谷と会うのはこの時が初めてである。  当時、僕は国学院大学の学生であったが、竹橋の毎日新聞社で編集事務のアルバイトをしていた。夕方から毎日新聞へ行き、最終の12版が校了になる深

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ロッキングオンの時代。第一話 それは新宿から始まる。

ソウルイート  1970年という年の記憶には冬がない。何か暑いマグマが一年を覆っていたような記憶しかない。70年というのは、「70年アンポ反対」のスローガンにあったように、日米安全保障条約の改定期であり、そこに向けての学生たちの反対闘争があったわけだが、実際のその年になるまでに学生たちの主力は敗北していた。1969年の4月28日の沖縄反戦デーを境に、アンポは粉砕されないという思いが、群雲のように学生たちの心に広がっていた。先鋭化した学生と労働者の一部が赤軍や京浜安保共闘など

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