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ロッキングオンの時代。第六話 営業活動



僕はミニコミ程度のものは作ったことはあったが、商業誌というものがよく分からなかった。
「ようするに、雑誌を作って書店で売って、広告を入れればよいんだ」
 渋谷の単純な説明も何か危なっかしい。

 渋谷と僕は新宿から中央線に乗り高円寺に行った。僕は四谷で生まれて四谷で育ったから、山手線の外側というのは未知の領域であった。父方の祖母が板橋の滝野川にいて、子どもの頃からよく遊びに行ったぐらいだ。母方の祖父母とは四谷で一緒に暮らしていて、母方の親戚も「目黒のおばさん」とか「麹町のおばさん」というようにだいたい、山手線の近辺にいた。昔は、親戚のことを地名をつけて呼ぶことが多かった。

 高円寺には「キーボード」とか「ムーヴィン」とか、いろんなジャンルのロック喫茶があり、長髪のいかにもウェストコーストのロックヒッピーみたいな店主がレコードを回していた。

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