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見えない壁が聳え立つ

ついにこの日が来てしまった。
娘から「わたしの名前を呼ばないで」宣言をされてしまったのだ。
「パパはさ、カッコいいからいいの。弟くんも一緒に遊びたいからいい。でもママは不細工だからやだ」
「そ、そ、そんな理由で……」
「だから私が話しかけるまで話さないで。プシュン」
そう言ってそっぽを向いてしまった。

プシュン。
何かが閉じられる音。なんて残酷な音。
そのとき、私の前には見えない壁が聳え立った。

娘が産まれるとき、私の身体の一部は壊滅的な大打撃を受けた。よれよれになった身体は、一生元には戻らないのではないかとさえ思った。でもそれでもいいと、たしかにあのとき思ったのだ。

子宮の壁に覆われた場所から見知らぬ場所へ一歩を踏み出そうとする我が子のためなら、私はなんだって差し出す覚悟でいた。だってこちらがたじろぐくらい娘は出てこようとしているし、ちょっと逃げたかったがもう何かがはじまっちゃってるし。何より娘と直接触れ合いたかった。でもなかなか出てこない。私の腹は血管が浮き出て青黒くなり、今にも破裂しそうだった。この世のものとは思えない人体の変貌にぎょっとしながらも、赤子が苦しいのではないかと気持ちばかり焦る。大人だって新しい場所へ行くときは緊張するし、びびってしまう。赤ん坊ならなおさらだ。息むたびに、娘に「もうすぐだからね。一緒にがんばろうね」と声をかけた。

その頃夫はというと、せっかく立ち会い出産をしたのに、もがき苦しむ私に色々な意味で耐えられず終始ニヤついていた。それに気づいた助産師さんが夫の手を鷲掴みにして私の手を握らせようとしてくれたのだが、その握り方が妙で握りたいんだか握りたくないんだかわからない感じのまま出産を終えたことも決して根に持ってなどいない。どれもこれも全て許せるほど、娘と直接触れ合いたかったから頑張れたのだ。
ようやく壁越しではなく触れ合うことができたのに。今や娘と私の間には見えない壁が聳え立つ。
この壁、いったいどうやって取り払えばいいの。
新たな打撃が私を襲っている。

プシュン。

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