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愛とかなんとかいうけれど。


人の優しさを受け入れられないときもある。
そんなときは、無理に受け入れなくてもいいのではないか。
ただ受け入れられなくても、感謝はできる。
どんなときも、感謝をする余裕くらいは持っていたい。

今日はそんな話。

私には5歳の娘と3歳の息子がいる。
娘がまだ2歳で、息子が2、3ヶ月かそこらの頃。娘の癇癪が日に日にエスカレートしていて、娘も私も、多分息子も疲労困憊だった。
最寄り駅から4駅先の保育園にしか入園できず、平日は毎日3人で電車に乗って通園した。当時はまだ、娘に発達障害の診断がつく前だったこともあり、なぜこの人は叫び続けるのだろうかと、途方に暮れていた時期だ。

その日も息子を抱っこ紐で抱っこし、ベビーカーに乗せた娘と電車に乗ろうとした。娘はベビーカーに乗り、ベルトを締められることを極端に嫌がった。
突如「あ゛ーーー!」と叫んだ。
ベビーカーのベルトを外してやると少し落ち着いたが、また「あ゛ーーー!」と叫ぶ。
その繰り返しだった。

駅に着くと、急にホームを走りだした。人の波をすり抜けて娘は走る。娘の走る場所だけ、道ができていった。

「待って!」

どんなに大きな声を出しても娘は聞いてくれない。「お願いだから、止まって!」娘に向かって叫ぶ。声がかすれるくらいに叫ぶ。

娘には届かない。

ようやく娘の腕を掴んだとき「なんでこんなことをするの?ママを困らせたいの?」と口にしていた。

娘は泣いていた。

私も心で泣いた。

娘はホームで寝ころがり、手足をばたつかせ、言葉にならない声を発した。
私のなかで、焦燥感や羞恥心といった感情がいっせいに蠢き出す。


「保育園へ行かないと、ママ仕事に遅れちゃうから!お願いだから言うこと聞いて!」そう、叫んでいた。
育児休業中なのに、なぜかこの言葉を選んだのだ。
必死に主張している娘に対して、力で押さえつけようとしたのだ。

その一部始終を見ていたのだろう。ひとりの女性が駆け寄ってきて、娘に声をかけてくれた。

「大丈夫?ホームに落ちたら危ないからね」

その女性の声で娘は落ち着き、その女性の言葉で私も我に返った。
ありがたかった。
温かった。
娘は狂ったように泣き叫び、私も怒声を発しているにも関わらず、声をかけてくれたのだ。

それなのに、その時の私は、その優しさを受け入れるだけの余裕がなかった。自分勝手で、傲慢で、母親だからってなぜこんな目に遭わなきゃいけないんだと思っていた。
子どもは突然やってくるものではないのに、責任をすべて放り投げて逃げだしてしまいたかった。

「ありがとうございます。でも大丈夫です。平気ですから」

そう答えていた。
平気なはずがなかった。
当時の私は、くだらないプライドを大事に抱えていたのだろう。
「自分でなんとかしなければ」「娘がこうなっているのは、私のせいかもしれない」血がだらだら垂れるまで、自分を傷つけていた。
母親神話なんて、あってないようなものだと思っていたはずなのに、小さい頃からのすり込みは想像以上に私を苦しめた。
自分で自分の首を絞めていたことにも、気づけなかった。

いまは、娘の全身全霊の訴えを多少は理解できるのだが、当時はわかってあげられなかった。
いや、わかるわけないのかもしれない。
はじめての子育て、母親といえどもただの人間だ。一定の期間、自分のお腹の中にいたからといって、誰かがつくりあげた「母親像」になれるわけがない。自分と違う人間の考えることがわかるわけなかった。

そのときの私は、真面目に考えすぎていたのだ。
愛がなかったわけではない。愛があるから憎しみも生まれるし、人の感情は自覚している以上に、根深かった。

いま多少なりともわかるようになったのは「経験」だと思っている。
この子の親としての経験。たくさんの人に助けてもらった経験。助けてくれた人たちの言葉を聞いた経験。実際にそれをしてみたらうまくいった経験。失敗した経験。経験の積み重ねで、わかることが増えていったのだと思う。

だから言ってしまえば、他の子のことはわからない。

何度も何度も「自分には母親は無理だ」と思ったあの頃の私は、常に満員電車に揺られているみたいだった。窓も開いていない、ぎゅうぎゅうに押し込まれた満員電車。24時間ずっと。「え?こんな体勢で大丈夫?」と思うような姿勢で、無理やり耐えていたのだと思う。


そんな様子を見かねて友人が言ってくれた。

「全て手に入れることはできないよ」

いまもこの言葉を噛み締めることがある。まさにその通りだと思う。自分の中に余裕がないと、人の優しさに気づけなくなる。本当に自分が大事にしたい「何か」も見失ってしまう。

私は自分自身のため、娘のため、家族のために、この気づきを記しておきたいと思った。
そして「ああ、もう無理かもしれない」と思っているひとの、味方でありたい。
気持ちの面で、寄り添ってくれる味方がいたことは、私にとって救いだったからだ。
この世に一人として同じ人間はいないが、他人の中に自分を見つけることは度々ある。「あ、今、触れてもらったな」と思うことがあり、そのくらいの距離感が私にはちょうど良かった。

余裕がないときほど「こうすればいいですよ」「肝心なのは気持ちですよ。気にしすぎもよくないですよ」「発達の遅れ?全然わかんない。普通に見える」「頑張ればなんとかなる」とかいった言葉を受け入れられないときがあった。
そういうときは、無理に受け入れようとしなくても良かったと思う。

人の優しさを受け入れられない自分を責めることもあったが、今後同じようなことがあったら「いまは仕方がないさ。まあまあまあ」と、自分を愛でることのできる私でありたい。

不思議なもので、自分を愛でるようになったら、娘を愛でることができるようになった。
そしたら娘も、私を愛でてくれるようになった。

人間ってうまくできてるな、と思う。





👩‍👧愛とかなんとかいうけれど、結局は当時の私たち家族を救ってやりたい一心で書きました。ただそのありふれた家族の風景が、どなたかの心に触れることができたら幸いです。
まだまだ現在進行形の話ですが、ここまでお付き合いいただきありがとうございました!👨‍👦

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