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ファミリーレストランに売っているセロテープみたいなガムの話



共働きの両親と休みの思い出

幼い頃

両親は共働きでいそがしく

休みの日は

近所のともだちと遊ぶか
祖父母の畑仕事を手伝うか

その2択で時間をつぶしていた



3時のおやつは

おばあちゃんが漬けた
白菜やたくあんを舌で転がしながら

熱いお茶を飲む


たまにお菓子が出ることもあったけど



ぽたぽた焼き

ABCビスケット

飴玉のように
一粒ずつビニールに入って
左右がねじられてる四角いチョコ




当時都会を知らないわたしだったが


そのチョイスすべてが

すごく田舎臭く感じて


漬け物も

ぼんやりしたお菓子も


どれも好きではなかった



大人になって

ポテトチップスが大好物なのは

あの頃の漬物やらの衝動なんだろう






夏休み冬休みの長期休暇も

もちろん両親は毎日仕事だったので

友だちと遊ぶか
畑仕事を手伝う
(はたして本当に手伝っていたのかわからない笑)

の2択だったが




数年に一度は旅行をするという

家族ルールがあった



長期休暇にあわせて

ディズニーランド

北海道や九州

沖縄なんかの遠方にも連れていってもらった




わたしは

この旅行がいつも楽しみだった

飴やガムや
キラキラしたおやつを

準備できることにワクワクした


普段はあまり買ってもらえない
ポッキーやアポロチョコなども

旅行前になると母が買ってくれた



なかなか揃わない家族と

キラキラしたお菓子と旅行。


すごく贅沢だった




あと好きだったのは

空港や遠方に向かうときの車内。




毛布を積んで
車の後部座席をフラッとにしてもらい

真夜中によく出発した


ワクワクするお菓子と気持ちを
いっぱい抱えて


兄弟で毛布にくるまる

あの時間が何よりもすきだった







私には6つ歳の離れた兄がいる


わたしと違って

とても素直で

言われたことをちゃんとやる子だった



ちゃっかりしている兄だった



そんな兄は


たまに休むわたし(ズル休みも含む)と違い

学校は皆勤賞



その代わり

夏休みに入った途端


緊張の糸が切れたように
よく熱を出したそうで


旅行の思い出写真には

冷えピタを貼った真顔の兄が残されている






憧れのファミリーレストラン


休日などに
家族揃って出かける機会は少なかったので


ファミリーレストランへ行くことも
なかなかなかった


ファミレスでごはんを食べることは

旅行と同列の
一大イベントの認識





祖父母と同居で
祖父が究極の出不精だったこともあり

家族全員で外食した記憶はほとんどない



あと


父は仕事人間で、盆暮正月以外
家にいなかったことも影響している

明け方に帰ってきては
あわててお風呂に入り



あさごはんをサッと食べたら
また仕事に行く


ゆっくりと一緒にご飯をたべる時間は

あまりなかった






少し脱線するが


父があまりにも家にいないので


どうやら

わたしは母から
父はいないと吹き込まれていたらしく

(そこにはきっと大きな嫌味も含まれていたのだろうと今はわかる)


託児所なんかで

「〇〇ちゃん、おとうさんは?」


と聞かれるやいなや


「しんじゃった!」


と答えるような2歳児だったらしい



答える方もそうだけど


聞く方も聞く方だ









中学生になり

友人との会話のなかで
すかいらーくの話題が出たとき


みんなの家が
わりと頻繁にファミレスに行くことを
はじめて知った


他人と自分の家の違い
みたいなやつ?を鮮烈に感じた


そして

すかいらーくの好きなメニューや
レジ横のお菓子を買ってもらったという話題には

ついていけなかった




ファミリーレストランに

ファミリーで行くこと



とても憧れだった



レジ横で輝くセロテープタイプのガム


ファミリーレストランには

それぞれの物語がたくさんあるだろう





わたしの記憶に残っている

ファミリーレストランのエピソードが

すこしだけある




習い事の発表会の帰りだろうか


家族でお昼に
すかいらーくに行った


なかなか来られないファミレスに高揚して
メニューが決められなかった


お子様セットでもらえる
どうしようもないようなおもちゃでも

ひとつに絞るのがむずかしかった


そしてまた

滅多にお目にかかれない

ファミレスのレジ横の
おもちゃやお菓子が並ぶお宝コーナーは

すごく魅力的に見えた




電池で動く犬のぬいぐるみ

カラフルなシャボン玉

セロテープみたいなガム



この

ここでしか見かけないような
変な色をしたセロテープタイプのガムは

わたしにとって



究極にキラキラしたお菓子だった




わたしがおやつに食べたいのはこれだ!!




お店に入ったときから

帰りに絶対おねだりしようと

薄目でジロリとチェックした







帰り間際

会計にならぶ母に

お宝コーナーの
セロテープみたいなガムを指差し

散々駄々をこねた



よく見かける子どものあれ。






そんなわたしを

6つ歳の離れた兄は冷めたように
呆れて見つめる






日々の仕事や家庭の不満で

神経質気味だった母は



- そんなわがまま言う子は連れて帰らない



と言い放ち


駐車場にひとり置き去りにされた



それっていまの時代にはアウトじゃ

って思うこともあるけど


当時は社会も寛容だったようで

きっと誰も気に留めていなかった




駐車場で泣き喚き疲れたわたしは

ふと我に帰る



ひとりぼっちの自分


明日からどう生きてこうか?


近くにミカンの木が見えるから
あれ食べてれば食には困らないし

トイレはここにあるな



スーパーに入ってるパン屋さんで
パンの耳ってもらえるのかな




とか


壮大な空想パレードを繰り広げていた





体感的に1時間経ったころだろうか


不満顔の神経質な母が戻ってきて


無言で後部座席に座らされ、家まで帰った



(待っていた本当の時間は15分位だとおもう笑)





ところで


父はどうした?



この出来事の

父の記憶が全くない




やっぱり


しんじゃった!


ってのはあながち間違いじゃなかったのか







そんなファミリーレストランの記憶には

すこしだけ続きがある





あるとき


冷めた顔をしていたはずの兄が




家でこっそり

セロテープタイプのあのガムを

食べていることに気付く



- 〇〇には内緒にしとけって

  おかあさんから言われたんだ





ちゃっかりしてんだ、兄はいつも。






そこからは

お察しのとおり


わたしは

また泣き喚き


呆れた兄から

セロテープタイプのガムを引き出して
少し分けてもらうまでは


そう時間はかからなかった







ファミリーレストランには

それぞれの物語がたくさんあるだろう



例のコーナーを
薄目で眺めて入店することはなくなったが


あの時買ってもらえなかった

あまり美味しくないセロテープタイプのガムに


わたしはいまでもどこか憧れを抱いてる




あとがき



なぜ兄は
あのセロテープタイプのガムを持っていたのか?


わたしの記憶上だと

兄はテスト?か何かのご褒美にと
別のタイミングで
特別に買ってもらってたような話。

しかも

年上の兄が大事そうに食べていたにも関わらず
すんなり譲ってくれたのは

やっぱりそんなに
美味しいものじゃなかったんだろうなと笑


それ以来わたしも
あのガムをねだることも無くなったので

それがすべてだと思ってます笑



いつか答え合わせしてみようかな



おわり

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