すべては偽りで出来ている~仮想狂気~

この話は現代社会で普通に生きていたい人にとっては耳障りの良い話ではないし、夢をもっていたい人は読まない方がいい。
なぜかというと、この現代社会の根本をほぼすべてを否定している話だから。この現代社会に何らかの夢や希望を抱いて生きたい人は読まないほうがいい。
これから○っキーマウスの着ぐるみを全部脱がそうとするような話だからね。

「すべては偽りでできている」

都内をバイクで走っていると異様にオシャレなお店にたくさん出くわす。
「あぁこんなお店があるんだなぁ」と。
一般的な女子なら「あ~素敵!」とか「行ってみたい!」とかなると思う。
でも俺からしたらただの飲食店。厨房や現場の裏を知ってる人間からすれば飲食店に対して夢を抱くことはない。(グリストラップの清掃をしていたことがある人間ならわかるだろう)
そのオシャレなお店でも中国産野菜を使用しているし化学調味料や保存料などが使用されたソースなどが使われている。油はアルツハイマーの原因とされている劇薬で抽出されたキャノーラ油が使われていて、しかもその油は悪名高き遺伝子組み換え作物から作られている。身体に良いわけがない。
それに肉だってステーキで見れば確かに美味しそうだけど牛を殺しておいて何がおしゃれなんだ?と思うわけだ。
都内で流行りのハンバーガー屋にしたって生きていた牛を殺して作っているわけだ。生きる為に肉を食べる必要がある、という主張は譲るとして、生き物を殺してその死体を食べることの何がオシャレなんだろう?

「オシャレなブランドショップ」

洋服も然り。初戦は布切れ。それに何万円も払う人たちがいる。
そしてその何万円もする服を買うために、長時間働き、そして人生を失う。
本当にその洋服が好きなら構わない。なら何故毎月、毎年服を買う必要があるのか?とっかえひっかする必要があるのか?

「身なりは整えないと行けないし、同じ服ばっかり着てたらおかしいと思われる」

なんて声が聞こえてくるが、そんな事のために人生という貴重な時間を費やすだなんて馬鹿げている、と言うわたしも昔はそうだったから気持は分かる。新しい服、一見すると自己実現をさせてくれそうな洋服やアクセサリーに小物、バッグ。確かに欲しくなる。
ただ、年を重ねて、人生と言うものを冷静に見られるようになってからはそれらは一切欲しくならなくなった。
そして服なんてものは所詮、布切れだ。否定するつもりはないが、そんな布切れのために人生の貴重な時間を労働に費やし、それを毎年繰り返した先になにがあるのか、もし見つかったら教えてほしい。
わたしはその繰り返しの為に使う金を稼ぐ為に自分の人生を社会に奪われるくらいなら、毎年同じ服を着て、自分自身の時間と人生を自由に味わうことの方が良いと判断した。
わたしはセネカが言うように人生の時間というは本当に大事なことに使うべきだと思ってる。人生というのは短いのだ。
短かく、そして貴重な人生の時間を浪費や消費のために費やすべきなのだろうか?

洋服は確かに必要だ。
しかし、本質的な「生」においては寒さをしのいだり温度調整する以外には何の役にも立たない。震災が来たり、津波が来たらその洋服は何の役に立つというのだろう?
インフラが止まって、食材が運ばれて来なくなったとき、その大量の服や靴は腹の足しになるのだろうか?

わたしは意識と心の目が醒めてから貴重な時間を飲食店でただお酒を飲んで過ごしたり、普段着るものは十分あるのに更に洋服を買ったりすることに時間を使うのではなく「本質的に自分の人生を満たすための時間に使うべきだ」と思うようになった。
ならば「本質的に人生を満たす」とはどういうことなのか。
それは人それぞれ異なる回答がある、と私は思う。しかし、少なからずこの現代における大量消費社会を助長するのような生き方では無いとは言い切れる。ただ消費し廃棄するような生き方が人生を満たすとは到底考えにくい。

それでいて、その本質を見失ってしまう原因はこの社会が偽りで出来ている、ということがその根本にあると私は悟った。

「イメージ戦略やブランディングは偽り-ただのフィクション-」

知っている人もいくばくかいると思うし女性の夢を壊すようで申し訳ない話なのだがダイヤモンドには販売されている価値ほどの希少性はない
あれはデビアスという会社が独占的にダイアモンドを支配していてそれによってわざと価値を釣り上げているだけなのだ。ハッキリ言えばあんな石ころ、大した価値はないのだ。これを言うと女性陣から猛ブーイングを受けるかもしれないがこれが真実なのだ。

「化学薬品に幻想を抱く」

シャンプーやリンスも然り。製造現場に行くと現実をまじまじと突きつけられる。どんなに華麗なCMを流していても、女優の髪の毛が潤っているCMを流していたとしてもシャンプーやリンスなんて所詮は化学薬品工場で作られている合成化学薬品の塊でしかない。それを多くの人が有難がって買っているのだ。原価何円~何十円程度のものを、だ。
それとは逆に広告宣伝費には馬鹿みたいにお金を掛ける。
有名な女優さんと起用し、何億もかけて所狭しと広告を打つ。ゴールデンタイムにCMを流す。原価より広告費のほうが高くつく程にマーケティングを繰り返すのだ。その結果、多くの人はそのイメージ戦略に騙される。その商品に夢を見る。そしてそれが現実だと思い込む。マーケティングやブランディングというのは本当によくできている。
消費者に夢をみせ、その世界感に浸らせる。
そして消費者は簡単に騙される。わたしもたくさん騙されてきた。

しかし、その世界観はすべてウソだ。偽りなのだ。夢なのだ。
まったくの現実を言うならば、その綺麗にパッケージされたノンシリコンシャンプーですら、ただただ体に悪い化学薬品の液体でしかないのだ。

その証拠に少し舐めて見ればいい。
ほんの少し口に入れるだけであれ程の不味さを感じさせるものをわざわざ体に塗っているのだ。それに本当のことを言えば、あんなもの体に塗ること自体、肌にも健康にも良くない。とはいえ私も「かつては」使っていた。
でも今は一切使っていない。普段は塩や重曹、お湯だけ、使ったとしても天然成分で界面活性剤などの化学薬品を使用していないものを週に1回使う程度だ。

そもそもの話として毎日洗剤やシャンプーをつけて体をよく洗わないと体臭がするとするならば、食べているものがおかしいのだ。

動物性脂肪の摂り過ぎによって過酸化脂質が発生していたり、抗酸化物質摂取量の低下によって脂肪が腐敗して加齢臭が発生していないでもない限り、体臭は発生しない。汗も発酵しなければ基本的には臭くはならない。
特に日本人ならなおさらだ。(そんなスパイスも食べないし)
なのに、多くの人が毎日せっせかせっせかと身体を綺麗にしているつもりでいる。しかし実際にやっていることは肌の状態を健康に保つ常在菌を化学薬品で皆殺しにしているに過ぎないことを多くの人達が知らない。
体が汚いとおもっていることもまた、幻想であり思い込みであり、その原因は社会による洗脳にある。

余談ではあるが一応ハッキリと言っておくと、もし体の表面すら汚いの思うなら動物性脂肪の摂取の一切を止めるべきだ。
動物の肉が腸内で発酵して腐るものの方がよっぽど汚いし、不衛生だし、臭くなる原因だ。
だから肌や体が汚いと思う人は肉もやめたほうがいい。過酸化脂質然り、汗に脂質が多く含まれるようになると雑菌の繁殖の原因になる。臭くなる。だから肉や陸上生物の動物性脂肪はそっこくやめるべきだ。

「キャラメルモカフラペーチノ・・・?」

話を元に戻すがスタバ然り、フラペチーノなんて物はわたしに言わせればただの砂糖と氷の塊にしか見えない。日本には糖尿病患者さんが380万人いる。合併症で亡くなられたり、足を切断したりした人もいる。
そういう話を聞いたり、実際に人工透析をしている人たちの現状を間近で見てきたわたしに言わせればフラペチーノなんて砂糖や果糖ぶどう糖液糖の塊はただの毒でしかない。糖尿病へのハイウェイのようなものだ。
それをオシャレだと思いこんで600円近いお金を払っているのだ。
それもあの内装や雰囲気、パッケージに騙されているだけで、その内装も所詮は木や合成化学品の塊でしかない。

「そんなことを言ったら夢も何もないじゃないか」

という意見もわかる。でもそれが真実だ。
大都会東京だってコンクリやアスファルトをひっぺ返せばそこはすぐ土だ。
だから地下鉄の節々にには雨水が流れ込む。
1年も手入れをしなければそのへん雑草だらけになる。
それは岐阜の山奥であっても茨木の平野であっても、代官山であっても変わらないのだ。
所詮はどこも地球の上でしかないのだ。それに「オシャレ最先端の街」だの「高級住宅地」だのという触れ込みを謳ってまるで本当にそうであるかのように思い込ませているだけなのだ。つまりはブランディングだ。

「夢を抱いて・・・」

億ションや「〇〇レジデンス」と呼ばれるような高級マンションも作ってる側からすればただのマンションだ。
それを「〇〇に住まう贅沢。」「価値のある場所に還る」みたいな謳い文句をつけて売り出すのだ。
タワーマンションといえど、所詮は団地だ。集合住宅だ。
タワマンに何棟も入ったことがある人ならわかると思うが中はただの団地に過ぎない。中にはホテルのような内装のタワマンもあるが掃除する場所が増えるだけで機能的だとは思えない。それにそのマットを掃除するのにも化学薬品が使われていて、その匂いがプンプンする。
香料の入った洗剤を基本的に使わない私からすればすぐわかる。
とても心身に良い場所とは言えない。
しかし、多くの人がタワーマンションに夢をみて購入を決める。
景色が良い、夜景が綺麗。最初だけだって。
タワマンに住んでる人ほど出前(○BER)を頼む。
降りるのが面倒だからだろう。
実際にエレベーターが全然来ないなんてザラだし、短い時間に昇降をすると脳や心臓に負担がかかるのがよく分かる。
そのほかにも武蔵小杉の停電の一件を鑑みても、住みやすいとは到底言えない。海外では高層マンションでの子どもを育てるのは教育上よくないとされていて、規制されている国も存在する。

※詳しく知りたい方はリンクからどうぞ
https://www.fudousan-plaza.com/article/407/

しかし、そんなタワマンに夢を抱いて購入する世帯も多く存在するのだ。
何故か。もぉ言わずもがな。


わたしはここ最近、日々こういった幻想から醒め続けている。
夢を見たい気持ちもよく分かるが、大人が夢を追い続けると社会がろくなことにならなくなる。現実を見てみれば問題が山積しているのがよく分かるはずなのに、夢を見たいから現実的な問題を直視しない。
その結果、社会的な問題が山積しているのだ。
分かりやすく言えば、道端に落ちているゴミを思い浮かべてほしい。
あのゴミが我々の社会の問題だと思ってもらって差しつかえない。
「誰も拾おうとはしない」のだ。下手すれば目すら向けない。
そうやって積み重なってきた問題が社会には山積している。
見る方向は5Gだのスーパーシティだの自動操縦だのそういうことばっかり言っているのが我々の社会なのだ。
夢心地の良いことしか言わないのだ。
つまりは現実を現実として直視せず「みたいものを見たいように見て」「見たくないものは見ないようにしている」のだ。
肉だって屠殺現場を見てみれば食肉そのものが何もオシャレじゃないことは理解できるし、食べるにしても必要最低限にしようと思うはずだ。

※耐性無い人は観ないほうが良いがこれが真実だよ


更には牛に投与されている成長ホルモン剤が乳がんを引き起こしている可能性が高いことを社会もメディアも露呈しない。
なぜならそんなことをしたらみんなの「目が醒めてしまう」からだ。

「選択は人それぞれ」

だからと言って覚醒めろとは言わない。ただ、現代社会はこうした洗脳や幻想を和多志たちに刷り込んできているのが事実なのだ。
なぜなら、その方がコントロールしやすいからだ。
夢を見て、期待を抱いて、働くことでお金が手に入って自由が得られる、素敵なものが手に入る、そうやって働かせることで労働を搾取しているのだ。
労働搾取の仕組みについてはわたしは共産主義者ではないもののカール・マルクスの資本論における説明が一番しっくりきているから紹介しておこう。

その中でも特に目が醒める強烈なメッセージといえばこれだ。

「資本主義社会は本質的に必要がないモノを必要だと思いこませ、そしてそれらは働かなければ手に入らないと思い込ませる。そうすることで人々は「労働が必要である」と勘違いをする。確かに労働は必要なのだが、資本主義における労働のそのほとんどは本質的に人生に必要のないモノを手に入れる為に働いているのだ。そしてその労働を搾取することで資本主義社会では一部の人たちが大金を手にする仕組みこそが資本主義である」

とざっくりではあるがこういったメッセージを送っているのが資本論だとわたしは解釈している。共産主義については賛成しかねるが。

「超現実主義者ー仏陀ー」

言うまでもないが、わたしは仏教徒ではない。
しかし仏陀のことは心から尊敬している。究極の現実主義者にして現代にも通づるリベラルアーツの開祖的実践者として尊敬している。
知らない人のためにも言っておくが彼はまったくもって宗教家ではない。
生前においても「偶像崇拝はするな」「わたしも皆となんら変わりないただの人間である」ということをしきりに言ってた。
その教えを守らなかった弟子たちが大乗だの小乗だのと喧嘩別れしていって出来たのが今の仏教の宗教体系だ。
彼を正しく評価するならば「現実的な実践哲学者」という方が適切だと思う。

その仏陀のエピソードの中でも私が好きな話がある。


ある日のこと。ある僧が美しい女性に見とれていたそうな。
そこを通りかかった仏陀にその僧はこういったそうだ。
「いやぁあの方は本当に綺麗ですね。我々とは違う生き物のようだ」と。
それに対して仏陀はこう答えた。

「あぁ、確かに見れくれはわたし達とは似ても似つかないかもしれない。ただどうだ。その皮を剥げば我々と何ら変わらないではないか。臓物には糞便が溜まっており、内臓はとてもじゃないが綺麗とは言えない。それを加味した上でも彼女が美しいというのか。」

この強烈なパンチライン。
芸能人を多くの人はもてはやしてますが、所詮テレビに出てるってだけで我々と何ら変わらないのに大抵の人は彼らを特別視する。
仏陀が生きていたらなんて言うだろう。
少なからず、わたしはこの仏陀の考え方が大好きだ。
超クール。冷徹なほど冷静に物事の本質をみている。
人に上も下もなく、どんなに格好良くても綺麗でも中身はみんな変わらない。このエピソードからは「表面的な見てくれだとか、レッテルに騙されるな」というメッセージを感じずにはいられない。

とはいえわたしを含め、現実をまじまじと直視できる人は現代にはほとんどいない。なぜなら現実というのは常に残酷で、見たくないこと、知りたくない事実を容赦なく突きつけてくる。

一切の嘘がない真実や現実は常に、我々にとって都合が悪いのだ。

しかし、本当の意味でその現実と立ち向かわなければ人生が真実味を帯びることはないしバーチャルインサニティ(仮想狂気)で終わることになる。

頭で色々考えているうちは意識が思考の中に閉じ込められている証拠だから本当の現実世界を感じることができない。
しかし、頭の中から出ることができれば本当の現実を知れる。
マトリックス的に言えば

「あなたはブルーピルを飲んで、理想的な世界(仮想現実)で生きるのか、それともレッドピルを飲んで、辛くても真実の世界(現実世界)を生きるのか」

その選択肢をいま、我々現代人は問われていると思う。
98%の人間はブルーピルを飲む事をわたしは知っている。
嘘でも何でも金を払ってでも、騙されてでも人は夢をみていたいのだよ。
だからディズニーランドや映画は儲かるのさ。

夢や仮想現実、幻想を抱く為に金を払うだんて

正にVirtual Insanity〈仮想狂気〉だ。


それでも2%の人はきっと目を醒ます。
その時、その2%の人たちは世界のほんとうの姿を目にする。
先に言っておくがこの現代社会の本当の姿は酷いなんてもんじゃないぜ。
それでも、妄想や幻想に生きるよりもよっぽど意味のある人生を送ることができるがね。少なからず三大疾病や癌で死ぬことは避けられることを保証する。

もし、本当にその覚悟ができたなら静かに瞑想をして世界に目をむけて見るといい。

社会に対して今まで信じていた事のほぼすべてが嘘だったことに気がつくだろう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?