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プロセスをひらき、自分の殻をやぶる(後編)

「第1期メッシュワークゼミナール」を修了した根岸浩章さんへのインタビュー記事の後編です。
前編の記事はこちらから。

過程を開くことと、Discord

井潟:ゼミが終わって3週間くらい経って、何か変化とか、逆に変化していないことについて、聞いてもいいですか。

根岸:いやー、だんだんと日常に戻ってきてますね。弓指さんが話してたディズニーランドのエピソードのように、常日頃からに観察眼を持つとか、記録魔になったというような変化は、ぼくの場合は全然起こってないです。
観察しよう、という意識もそんなに強くなってない気がします。ゼミを受講する前は、終わる頃には観察魔・記録魔みたいになるのかなと思ってたんですけど、意外となってないんだ、という。

変化したところでいうと、そうですね…。
これまで要所要所の細かい変化には気づく方で、たとえば「髪型が変わったな」とか、「花粉の季節に右目が赤いけど、この人花粉症なのかな」、とか。学生時代に野球でキャッチャーをしてたんですけど、そのときの経験が影響してる気がします。
キャッチャーって、座席に立ったバッターの構え方とか試合の状況を観察して、「この球を狙ってそうだな」みたいなことを考えるんですね。だから、そういう癖があって。
今まではそういう細かい気づきが「部分の変化に鋭く反応するだけ」という意味で「点」的だったんですよ。今回のゼミでは、その点をいくつも集めて繋ぎ合わせると、「この人ってこういう人なのかな」「こういうこと考えているのかな」というように、その人の輪郭のようなものが浮かび上がってくるんだということを学びました。
そうやって、他者のことを分かろうとすることができるのかもしれない、少なくとも「分かりたい」と思うようになったのは、自分のなかでの変化です。
今までは、目をについた断片で自分の振る舞いを決めていたと思うんですけど、そうじゃなくて、「この点もこの点もある。ってことは…」と、もう一歩踏み込んで考えることを意識し始めたのがこの半年間ですね。

それから今回のゼミの設計として秀逸だったなあと思ったのは、Discordで一人一人のチャンネルを作って、個人のプロジェクトの進行状況や過程をを互いに見合える状態がつくられていたことですね。その中で、同期や比嘉さん・水上さんから違う切り口を投げ込んでもらったり、他の人のチャンネルから触発されたりしたんです。過程をある意味で「全開」にすることで、学びが深まることを実感できたというか。
前は、「完成してからじゃないと資料を見せたら悪いかな」とか、「途中で見せちゃうと自分はこういうことしかできない、と思われるんじゃないかな」、みたいな他人のまなざしが気になることがあったんですけど、今はそうした抵抗感がだいぶ和らぎました。

自分が完成させたものを相手に見せて、相手に焼きつけるイメージではなくて、こう考えているんだよねという気持ちを投げ込んで、相手から返ってきてという往来が生まれていく。
つまり今回は、Discordでやり取りをしたゼミ生に対しても、展示を観にきてくれた人たちに対しても、「あなたからこういう反応を引き出したい」という欲望がなかったのかな、と今となっては思います。途中を開く方が、相手と一緒に面白いほうに転がっていくことが体験をもって学べました。

井潟:そういうことも含め、根岸さんの良い意味でカオスな展示に現れているような気がします(笑)。単純に、あの机の周りにできてた空間がすごく居心地が良かったんですよね。机の上にあった照明も良い味を出していて、気になりました。

根岸:あの照明は、設営のときにHUB(「フィールドから揺さぶられるとき」を開催したImpact HUB Tokyoのこと)でたまたま一個余ってたんですよね。水上さんが「作業場っぽいライトだから展示にあうんじゃない?つけたらどう?」って言ってくれて。「たしかに!」と即採用でした。笑

井潟:水上さんナイス!

根岸:そう、あのライト良かったなって思ってて。
他のゼミ生もそうかもしれないですけど、今回も展示の素材を持ち込んでからその場で考える感じだったじゃないですか。寸分狂わずやるというより、手持ちのモノと状況を照らし合わせて、空間を作っていくことができたという感じです。

実際の展示の様子

じいちゃんからもらったひょうたん

井潟:フィールドワークをしていて輝く瞬間というと大袈裟ですけど、心に残っている時間とか具体的な出来事について、最後にお聞きしたいです。

根岸:ひょうたんをもらったのが、結構嬉しくて。
妻に「なんなんそんなの持って帰ってきて!どうするん?何使うん?」ってちょっと怒り気味で言われたんすけどね(笑)。
じいちゃんの話を聞いてると、「人との繋がり」として、モノのやり取りをされてきたエピソードが結構あったんですよ。依頼主の家で、「解体して全部捨てちゃうから、今欲しいものがあればなんでも持っていって」みたいな。 そのときに「これは使えそうと思って取っておくもの」と、「その人とのご縁を大切にするために持っておくもの」があるとも言っていて。ひょうたんは後者だったんです。
そのときは「誰々の家にこういう経緯があって行って、その瓢箪を持って帰ってきた」みたいな話を聞いててぼくはまったく「欲しい」とは言ってないんですけど「あんたが欲しいって言うなら」とじいちゃんが言うのでもらいました(笑)
その人の縁を紡ぐためにじいちゃんが持って帰ってきたものを、僕に渡してくれたというのが、なんとも嬉しかったです。

井潟:これ、水を飲んだりとか、実際に使えるものなんですか。

根岸:一応、水が入れられそうな穴が開いてるんですけど、使った痕跡がなさそうなんですよね。、そもそもひょうたんに「昭和5年」とか書いてるように見えるので、ちょっと水を入れて飲む気にはなれないな、と。

井潟:確かに体に入れるのは、ちょっとしんどい。

根岸:しんどいしんどい。勇気が要りすぎるんで試してないですけど、とにかくひょうたんをもらえたのが、嬉しかったですね。それがちょっと輝く瞬間だったかも。

もらったひょうたん。

インタビュー後記
隣人であり、大工として生計を立てている「じいちゃん」をインフォーマントとして、ゼミの課題であるフィールドワークをされた根岸さん。敢えて手書きという、話し言葉のスピードにより近く、書き言葉のスピードとはズレが生じる方法で展示をつくったからこそ、今までとは違うかたちで他の人の言葉を反芻するようになったことを語ってくださいました。また、Discordでのコミュニケーションや時間と空間が限られた展示制作のなかで、現在進行形で過程を見せることで得た学びを「「あなたからこういう反応を引き出したい」という欲望がないからこそ、相手と一緒に面白い方に転がっていく」という言葉で表現されていたことが印象的でした。

同じくメッシュワークゼミ生の弓指さんへのインタビュー記事はこちら

構成・執筆:井潟瑞希(メッシュワークインターン)

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