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プロセスをひらき、自分の殻をやぶる(前編)

2022年9月から2023年2月の半年間に及ぶ、社会人向けゼミ「第1期 メッシュワークゼミナール人類学的な参与観察によって問いをアップデートするトレーニング」のゼミ生へのインタビュー第二弾。今回のインタビュー記事では、隣に住む大工のじいちゃんをインフォーマント(調査に協力してくれる人)としてフィールドワークを行った根岸浩章さんに、インターンの井潟が話を伺います。

根岸さんご自身による振り返りはこちらから。

根岸浩章さん:和歌山県出身。小学校教員、JICA海外協力隊を経て、現在は島根県の離島 海士町(あまちょう)にて教育コーディネーターを務める。 島の教育魅力化のために、探究的な学びやキャリア教育、学校を跨いだタテヨコの学びの接続、地域と学校の連携協働に奔走中。その他、地域マルシェの運営やコーヒー露天商など、いくつかのわらじを履きながら島での暮らしを楽しんでいる。サモアでの生活経験をきっかけに人類学に興味をもちはじめ、今回メッシュワークゼミを受講した。

研究テーマ:モノの扱いに現れる隣のじいちゃんの仕事観・人生観
概要:我が家の隣に住んでいる「じっじ」。80歳の現役大工。うちの自治会の組長で、この地区の歴史と文化に詳しいここでの暮らしの師匠。ぼくと妻のことを気にかけてくれる、この土地でのおじいちゃん的存在で、一緒に酒を飲んで冗談を言い合う友達のような関係でもある。そんなじっじがどんなふうにこの世界を眺めているのかが、ふと気になった。  作業現場などから「とりあえず」持ち帰られ、家で大事に保管されたり、次の所有者に渡ったり、新しいなにかに生まれ変わったり、結局出番がなく処分されたりするモノたち。それらはどういう経路や経緯でここに辿り着き、これからどこに向かうのか。あるいは、どういうふうな価値を見出され、どのように仕分けられているのか。  モノを触媒として、隣のじっじのことをわかろうとした記録です。

「まるごとじいちゃん」の状態をつくる

井潟:このゼミは基本的には社会人向けなので、皆さんが仕事をしながらどう取り組んでたのか、共通して気になることで。根岸さんはフィールドが近くにあって比較的取り組みやすかったかと思いつつ、おっしゃていたような展示のための試行錯誤は、まとまった時間がないと厳しいのかなと思いますし、そういう時間の使い方のことを聞きたいなと思いました。

根岸さん(以下、敬称略):僕は夏休みの宿題を8月31日にやるタイプで、スケジューリングがかなり苦手なんです。今回のゼミのスケジュール的に9月から10月に集中的に入って、そのあとから2月までは少し頻度が少なくなって。リズムとしては「ぽぽぽぽぽぽ、ぽんぽんぽん」みたいな(笑)

井潟:めっちゃ伝わりやすい、(笑)

根岸:「ぽぽぽぽぽぽ」のところは能動的にスケジューリングしなくても入っていることなので、とりあえずそれに出る。 そしたらその後1か月ぐらい時間が空いて、「比嘉さんと話す時までになんかやらなきゃな」と思うんだけど、結局なんも動かなくて。で、比嘉さんと話したらやる気が出て、その後1週間いないくらいにフィールドへ行く、みたいな。
1on1の度にやる気の波が上がって、そのあと下がって、また上がって…というのが年明けくらいまで続きましたね。最後は駆け込みでなんとか走り抜けた感じです。
フィールドには6回行きました。フィールドワーク以外にも、夫婦でじいちゃんの家にご飯食べに行くこともあったので、それを合わせると8回くらいすかね。
今の場所(じいちゃんの家の隣)に住み始めた4年前からかわいがってもらっているので、じいちゃん一家とはもう丸4年の付き合いです。

結局、本腰を入れ始めたのは2月に入ってからです。展示の2、3週間前ぐらいから「わーーーー」って作り始めて。多分本当に集中して取り込んだのは、実質、1週間前ですね。

井潟:そこまで差し迫ってると不安とか感じる暇もなく、手動かさなきゃ、となってめちゃめちゃ進みそうではあります(笑)。

根岸:そうなんですよ。最後にまとめて取り組んで、納得のいくものが出来上がったこと自体は良かったんですけど、そこへの後悔もあったりはします。
フィールドワークの後に、もっと記録したり、自分の思考を発散させた方が 拾えるものが多かったかもしれない、という後悔です。
時間が空くと忘れてしまうし、脳が都合よく綺麗に整理する方向に働いてしまう気がして。すぐに記録に起こして、それを発酵させる時間をとればよかったなあと今となっては思います。
展示の際に、整理しないで出すことは不安でしたけど、アーカイブしていた1on1やセッションのメモを見返すと比嘉さんや水上さんはことあるごとに「期間内に完成することや、ゴールすることは目指さなくてもいいよ」、と伝えてくれていた気がして、その言葉で腹を括れた感がありました。

井潟:展示をしてみた手ごたえを伺えたら、嬉しいです。

根岸:「フィールドワークを進めていく中で立ち上がった仮説をまるっと見てもらう」という意識だったので、かなり途中の状態のまま、あの場に展示させてもらいました。
途中の様子をまるっと見てもらってコメントをもらったことで自分で書いた紙を含めて捉え方が変わったり、分かっていたつもりだったけど知らなかったり、という体験が個人的にすごく面白かったなって思います。

かなり雑多に貼っていったので、個人的には「見にくいだろうな」と思っていたんです。全部手書きでつくったんですけど、整った文字ではないので、通りすぎちゃう人も多いのかもしれないなと。でも意外にじっと立ち止まって、一文字一文字、大事に見てくれる人が思ったより多くて。
それで2日目から、「気づいたことを書いて適当に貼ってください」ってポストイットを置いておいたんです。そうしたら「じいちゃんの人柄や雰囲気がめっちゃ伝わりました」みたいなことを書いてくれた人もいて。そこにじいちゃんがいる、「まるごとじいちゃん」みたいな状態を作りたいともともと思っていたので、それが予想以上に伝わった人が多かったのかもしれない、というのが良い意味で意外でした。
ぎっしり、雑多に見せたからこそむしろ、「近づかないと見えないから、じっと見たくなる」というのもあったのかもしれません。

あと、じいちゃんが職人だから、モノづくりの営みを理解するうえで参考になるかもということで、インゴルドの『メイキング』を比嘉さんに勧められたんですね。そこで、「パソコンで文字を打つことと、手で書くことは全然違う」という部分があったんだけど、読んだ時には、その意味が全然わからなかったんです。
もともと展示として、A4の紙の写真を真ん中に置いて、周りにキャプションを書くというデザインを考えていたんですけど、それがあまりしっくりこなかった。手書きのイメージをパワーポイントで整えようとしたんですけどね。そこで、どういう意味があるのかは分からないけれど、とりあえず手で書いてみようと思ったんです。

一旦写真を50枚くらい印刷して、じっじ(フィールドワークをした大工さんのこと)のところに持っていって、横並びになって、これなんですかって話をしながら、メモを取りました。

井潟:めちゃめちゃ楽しそう

根岸:そう、めっちゃ面白かったんですよ!色んなストーリーを聞いて、メモをして。それをスライドに落とし込もうとしたんすけど、なんか違うなと思って。それでもう、絵を描いてみるところから始めてみようと。絵なんて普段まじで苦手で、描いたことなかったんですけど。

手書きでじいちゃんのことを書き記していった

手書きのラグがあるから気づいたこと

井潟:そういえば半年前に根岸さんが座談会でこういうことをおっしゃってたんですけど、これ覚えてますか?覚えていたら覚えているなりに、覚えていなかったら改めて読んでみて、今どう感じるか、というあたりを聞けたらな、と。

録音の書き起こしをしていると、自分が素通りしていたふとした言葉がすごく大事なんじゃないと、ゼミ生から指摘されて、めちゃめちゃはっとしたんですよ。小学校の先生として、子供たちを観察している。自分が好きなことでもあるのに思った以上に、分かった気になっていると感じた。失礼なことしてました、というイメージ。隣のじいちゃんがこんな風に世界を捉えている、ということを僕のフィルターを通しながら誰かに伝わるように表現しようとしている。一緒に草刈りしている、干し柿つくったり月桂冠飲んだり。今まで通りの関わり方で分かったつもりになってしまうのは危ういこと。週一で飲む友達が「根岸ってこういうやつだよな」というのとは、違う。「分かったつもり」の線を超えて分かろうとするための関わり方。今までの自分はどうだったのか、これからどうあるべきか、反省している。人の見方に対する自分の癖があらわになってきた。ぐっと踏み込んで挑戦できる機会をもらえていることが、有難い。

根岸:自分の関わり方や、癖のようなものが半年経ったから改善されてるかっていうと、全然されていないなと思います。
逆に「今も一緒だな」と。
でもこれを「改善できました」と言うことは、つまり「自分の癖抜きにフラットに相手のことを分かろうとすることができるようになりました」ということなので、それは傲慢だな、と思います。
スキルとして獲得できた、と自己認定するものではない気がしますし、完全にフラットに人と関わることなんてできないなと今は思います。。

井潟:こういうこと言ってたな、というのはぱっと見て覚えてましたか?

根岸:いや、小学校の先生のくだりとか、全然覚えてませんでした(笑)。

でも「自分が素通りしていた言葉が大事なんじゃないか」という言葉を他のゼミ生からもらったわけですけど、「手で書き起こす」という行為を通してそれが自分の中で腹落ちした気はします。
手で書きながら、「じいちゃんは『こういう言葉をこういう意図をもって言った』と思ってたんだけど、違うんじゃないか」、という考えが立ち上がってきたんです。
タイピングだと、例えば「この1時間のインタビューをどれだけ早く落とし込めるか」という勝負になるんですけど、手書きを選ぶ時点で、「速く書き起こすこと」が目的ではなくなってる。手書きだと、頭の中で文字を見ている速さと書いている速さでラグが生じてて、無意識的にもう一回じいちゃんの言葉を反芻しているような感覚がありました。

展示の直前まで、資料を手書きで作成

井潟;録音をpcで書き起こすのとは全然違う経験だったということですよね。

根岸:ですね、この経験が『メイキング』に書かれていたことと繋がった気が個人的にはしていて。書いたあとにもう一回読み直してみると、すっと内容が入ってくる部分がいくつもあったんです。
今までパソコンにメモすることが多かったんですけど、これがきっかけになって普段から手書きのメモが増えたのは、自分に起こった変化ですね。

インタビュー記事の後編はこちら

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