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#24 雑談 PERFECT DAYSの考察

 映画『PERFECT DAYS』を見てきました。
映画を見た感想が、他の方と全然違ったので、驚いて記事にした次第です。多くの方に見ていただいているのようなので、加筆修正をしました。

 この記事は、『PERFECT DAYS』を見た方にはもう一度見たくなるような、1ミリも見る気がない方には、ちょっと見てみようか、と思ってもらえるように書いています。
 見るか、見ないか迷っている方は是非見てください。それからこの記事を読むことをおすすめします。そうすればきっと、2度楽しめます

あらすじ(公式から抜粋)
東京渋谷の公衆トイレの清掃員、
平山は押上の古いアパートで一人暮らしている。
その日々はきわめて規則正しく、
同じことの繰り返しのなかに身を置いているように見えた。
ルーティンは孤独を遠ざけるものかもしれない。
けれど男のそれはどこか違ってみえた。
夜が明ける前に近所の老女が掃除する竹ぼうきの音が響く。
それが聞こえると男はすっと目をあける。
少しのあいだ天井をみつめる。おもむろに起きあがると薄い布団を畳み、
歯を磨き、髭を整え、清掃のユニフォームに身をつつむ。
車のキーと小銭とガラケーを
いつものようにポケットにしまい部屋をでる。
(中略)
同僚のタカシのいい加減さをどうして憎めないのか。
いつものホームレスの男が気になる。
清掃のあいまに見つける木漏れ日が好きだ。
フィルムを現像してくれるこの店はいつまであるだろうか。
銭湯で出会う老人が愛おしい。
古本屋の女性の的確な書評を聞くのも悪くない。
日曜だけ通う居酒屋のママの呟きが気になる。
今日はあいにくの雨だ。それでも予定は変えない。
そんな彼の日々に思いがけない出来事が起きる。
そしてそれは彼の今を小さく揺らした。

要約
トイレ清掃員、平山の日々。

見所
役所広司。
あとは──。
大きな事件は起こらない。トイレ清掃員の毎日を切り取った映画。
そのはずなのに。
所々おかしい。
植物を、紫外線ランプを当てるほど大切にしている。
一日の終わりに、モノクロで回想のようなものが入る。
ほんのわずかに、引っかかるセリフ。
運転中、やたらハンドルを切る。でも、車は曲がっている様子はない。
そこで気がつく。
この映画は、なにかをやろうとしている。

以下ネタバレと考察に移ります。

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考察① 映画『PERFECT DAYS』とはなにか?

 もう、ここから行きましょう。
 私の考える映画『PERFECT DAYS』

 喪失を前提とした日々の美しさ、です!!!

 映画を見た方は、恐らく「日々の美しさ」の部分は何となく納得してもらえると思います。だって『PERFECT DAYS』ですからね。

 では「喪失を前提とした」ってなんやねん。ですよね。そこを掘り下げていきます。

考察② 曲としての『PERFECT DAYS』

 洋楽で曲名が『PERFECT DAYS』の時点で、全然パーフェクトじゃないことは伝わります。が、ここでは歌詞を和訳されている方がいるので、そちらをどうぞ。

 歌詞から、決して順風満帆などではなく、むしろ過去に何か大きな過ちを犯してしまい。その過ちゆえに、日々の美しさに、相手がいることへの感謝に気がつけた。そんな曲になっています。

 まるで『桜の樹の下には死体が埋まっている』ですね。
 美しいものは、美しくないものの積み重ねの上にしか存在しない。だったら、明るい『PERFECT DAYS』の下には、暗いものが積み重なってるはずです。

 考察③ 平山の明るくない過去 = ニコ

 中盤くらいでしょうか、平山を”おじさん”と呼ぶ女の子「ニコ」が登場します。最初は何事か、と思いますが。平山との生活を見ていると、まるで親子のようです。「一緒に飲み物を飲む」シーンはまさにそれです。二人の飲み方が、あまりにも綺麗にシンクロします。映像に置いてシンクロは「強い繋がり」を表します。きっと、平山とニコは親子で。離婚して別れた娘が元父親に対して、距離感がうまくつかめず、”おじさん”と言ってしまう。そんな関係なんだな。
 そんなことを思っていると、ニコが平山に言います。
「おじさんとお母さんは住む世界が違うって」
 そうだよね、そうだよね。
 離婚するときって、そんな理由だよね。
 ──って、あれ?
 ニコのお母さんって、平山の妹なの?
 ”おじさん”って”伯父さん”なの? 
 ──おおぅ。

 公式サイトでは、平山は父との間に衝突があった、と書かれています。そして平山の妹はそれを見ていることしかできずに、それを負い目に感じている。と。
 作中で、その衝突の理由が明言されることはありませんが。きっとそういうことなのでしょう。

 考察④ 平山の笑顔と、涙。

 作中、平山は清掃中にトイレに入られても嫌な顔をしません。むしろ笑顔を作ります。同僚のタカシには金を貸しますし、アヤがカセットテープをだまって持っていっても、追求はしません。
 平山の態度は、自分以外の人間が幸せであってくれたら嬉しい。そんな風に見えます。
 それは、平山の優しく穏和な性格を表しているように見えます。ですが、注意しなければなりません。『PERFECT DAYS』を『PERFECT DAYS』にしているのは。桜の樹の下にある死体、なのです。

 では、いったいなぜ、平山は優しく穏和なのでしょう?
 その理由は、終盤に登場する、居酒屋のママの元夫とのやり取りが明かしてくれます。

 元夫は病気でこの先、長くないことを平山に告げます。そんな元夫は、平山に「影は重なると、濃くなるのか?」と聞いてきます。平山は「やってみましょう」といって、元夫と影を重ねます。元夫が「変わらない」というのに対して平山は、必死に「変わります。変わらないとおかしい」と主張します。

 なんでそんなに必死になるのか。おそらく平山自身も、元夫と同じ状況、つまり病気で先が長くないのでしょう。そんななかで、平山自身は、自分を変えていくことで、世界が変わると、信じて生きています。だからこそ、元夫の「変わらない」という言葉に対して、必死で「変わる」といっていたのでしょう。
 そんな平山だからこそ、普通の人ならイライラしてしまうような場面でも、笑っているのです。自分ではなく、周りの人々の幸せを想うことで、当たり前の日々に、輝くそうな一瞬を見つけられるようになったのではないでしょうか。

 作中、影の話は幾分か不自然です。ですが、「影を重ねる」が「面影を重ねる」の言葉遊びになっているのは、面白いですね。

 この先が長くないからこそ、何でもない日々の、輝くような一瞬に気がつくことができた。決して明るくない状態だからそこ、輝けるものに気がつくことができた。それこそが『PERFECT DAYS』なのでしょう。

考察⑤ 平山の死を前提として見ると

 作中の違和感が、納得感に変わるシーンが多々あります。

「本当に清掃員なんてやってるの?」
 平山の妹の台詞も、腑に落ちます。

 妹と抱擁したあとに、涙を浮かべた意味は、
 そういうことでしょう。

 平山が、必要以上のものを持たないのは、
 そういう意味です。

 そしてラストの、平山の涙のシーン。

 平山はいつものように出勤します。
 運転中の平山は笑顔ですが、その顔に写るライトの色は赤です。恐らくもう、終わりがすぐそこまで来ているのでしょう。
 平山はいつものように笑い、そして最後は、目に涙を溜めます。

 その涙の温度は、暖かいのでしょうか。

 木漏れ日の説明、いいですね。

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