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まちには おんがく あふれてて

昨日シャソールのライブに行ってきました。Billboard Live OSAKA。

シャソールはフランスの鍵盤奏者。シャソールをご存知ない方はまずはこちらの動画をご覧ください。1分間の短い動画ですが、彼の持っている特殊な能力を端的に知ってもらうことが出来ます。

人が話す時の抑揚の中に僅かに存在する音程を拡張して音楽に変えています。人の話し声ばかりではありません。鳥のさえずり、雑踏、子どもたちの遊ぶ声、世界に存在するあらゆる音の中に音楽を見つけていく。

この手法だけがシャソールの音楽を構成するものではありませんが、こんなふうに音楽を組み立てる方法が彼の音楽性を決定付けているとは言えると思います。

昨日のライブも全てスクリーンに映し出されたフランスや東京、インドの街の中で話したり歌ったりする人々の映像に合わせて演奏するスタイルでした。
シャソールの鍵盤とマテュー・エデュアールのドラムの2人編成だったので、シャソールの音楽で割と中心的に使われるフルートやコーラスなどの演奏は映像とともにあらかじめ用意されたトラックに入っており、それに合わせて二人が演奏する構成。
インプロ的なパフォーマンスを期待していたので、個人的にはそこはちょっと残念でしたが、それでも刺激的なパフォーマンスでした。

アナロジーのインプットとアウトプット

さて、そこで早速連想したのが一昨日書いたnoteで紹介した佐々木マキの「まちには いろんな かおが いて」です。

昨日も、大阪の街に出るついでに思いついた時に「顔に見えるもの探し」をやってみましたが、やってみると案外難しいもので、これは訓練というか習慣付けが必要だなと実感しました。逆に、習慣付けたら結構たくさん見つけられるようになりそう。

シャソールが音楽でやっていることも基本的にこれと同じですよね。
音のアナロジー。
じゃあ、シャソールみたいに耳で聞いた音の中から拾った音程を音楽に変えることもちょっと訓練したら出来るようになるでしょうか?

たぶん、無理。

何とか出来るように努力するにしても、相当な訓練が必要になりそうです。
まず、音を五線譜に落とし込むための最低限の条件として絶対音感が備わっている必要がある。
それから、聞き取ったものを鍵盤で素早く再現する演奏力、音楽的に美しく再解釈するアレンジ力が必要。
つまり、インプットとアウトプットのチャンネルがどちらもある程度の(というか相当高度な)レベルに達していなければ到底真似出来る芸当ではありません。

「顔に見えるもの探し」の場合、インプットはただ「見る」ということ、アウトプットは「類似の発見」だけなのでハードルは低いですが、例えばそこで「顔に見えたらそれを絵に描いて再現してください。」という条件が追加されると途端にアウトプットのハードルが上がります。
見たものをそのまま絵に描くためには相応の訓練が必要だし、訓練だけでなくもともとの能力差もあるはず。

あと、シャソールの音楽に関して言うと、母語がフランス語であることも音楽の作り方に影響を及ぼしているような気もします。エディ・マーフィーのトークをベースにした上の動画にもある通り、シャソールが音楽を添えるのは必ずしもフランス語だけではないですが、フランス語や英語に比べて抑揚の少ない日本語が母語だと、日常の会話の中から音楽を見つけるという手法自体思いつかなかったかもしれません。
昨日のライブでも東京の街で撮られた映像が多く使われていましたが、音楽が付けられているのは主に英語での会話でした。

などと言いつつ、いきなりこの推論を覆す例もあったりする。
エルメート・パスコアールが浅草の市場のバナナの叩き売りの口上に音楽を付けたもの。4年前に初めてシャソールの音楽を聴いた時にまず思い出したのがこれでした。

アウトプットはそりゃ大事でしょうがね…

日々何かを受け取ったり何かを創ったりする営みをインプットだとかアウトプットだとかに切り分けて、「インプットの質を上げましょう」だの「アウトプットする習慣を付けましょう」だのということに囚われている現代人。
まさにその現代人たる僕は、noteというアウトプットを通してライブを見て感じたことをこうして整理している訳ですが、どんどんアウトプットすりゃそれでいいってもんでもない。それに、そもそも別にアウトプットのためにインプットしてる訳でも、アウトプットのために生きている訳でもありません。
前述のように、シャソールが個性的で刺激的で美しい音楽を生み出す背景には環境の影響や下支えする訓練があって、そして何よりきっと音楽に対する強い衝動がある。

シャソールはただ目の前に存在する美しい音楽を取り出して僕たちに見せてくれる。もうそれだけで十分じゃないか、とも思いつつ、今日もあーだこーだ言ってみた次第です。

シャソールの音楽の影響源などについてはあまり詳しく知らず、パスコアールとシャソールの音楽の比較について書かれた音楽評論家の柳樂光隆さんのこちらの記事も参考にさせていただきました。


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