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コミュニティから逃れたい奴が考えるコミュニティってやつ

気付いたら周りで結構多くの人が使ってる言葉って常に何かしらあって、そういうものに乗り遅れがちな人間です。
「ほぼほぼ」とか「腹落ち」とか「リスケ」とか。初めて聞いた時「り、利助!?伊藤博文の幼名?」って思ったもん。
あと、なんで最近はあえて「腑」じゃなくて「腹」って言うんでしょう?
個人的には「腹落ち」って言われると、胃でろくに消化されずに一直線に腸まで落っこちるビジュアルをイメージしてしまって、「腑に落ちる」の持っていた五臓六腑に染み渡る感が欠けちゃう感じがするんですけど…。

WDA note部として2回目の投稿。
今回出されたテーマは「コミュニティ」です。

例えば「コミュニティ」という言葉も、昔から馴染みがあるような気もするけど使われる頻度も示す意味合いも時代とともに変化してきてるのかなぁ…と感じる言葉のひとつです。
個人的な観測ではゼロ年代前半にmixiで使われていた用法が後に定着していった気がしてるのですが、実際mixi使ったことないのでテキトーな印象です。今回も冒頭からテキトーなこと言ってすみません。

さて、今のところ半月に一度テーマを決めて、書ける人から発表していくというスタイルで回っているWDA note部ですが、参加する場合はまず共有ドキュメントに仮タイトルと公開予定日を入力して意思表明するようになっています。
テーマに対して全くのノープランでしたが、仮タイトルだしパッと浮かんだものを…と思ってそこに書いたタイトルが、

「コミュニティから逃れたい(仮)」

…なんかすごい向いてない気がしてきた、WDA。

まずは言葉の定義を整理

反射的にネガティブな反応を起こした理由については後述するとして、どうも使われる頻度も文脈も変化しつつあるっぽいこの「コミュニティ」という言葉の定義をまずは整理した方が良いなと思い、お題が出てからハタと気になって調べ出すようないいかげんな人間が自力で答えを導きだそうとするのは早々にあきらめて、まずはこれはすごく勉強になった!というnoteをご紹介します。
坂口淳一さんの「コミュニティとは何なのか?コミュニティの定義について」

また、この記事を含むマガジン「コミュニティマネージャーズ」も複数の視点から更に実践的な知識が紹介されており、コミュニティ運営について関心のある方は必読です!

上の記事でまとめられているコミュニティの定義を引用させていただくと、

▼コミュニティの定義
・何かを核として自然発生的に集まった集団
・メンバーがお互いの存在に価値を感じ自分の貢献がほかの参加者にプラスに波及していると信じられる状態を有する
・特定の目的に限定されない


そして、僕が個人的に気になったのは、コミュニティの反対概念(下位概念?)として紹介されているアソシエーション。

▼アソシエーション
・ある特定の関心を追求し,一定の目的を達成するためにつくられる社会組織
・コミュニティを基盤としてそのうえに個々の人間の共通関心に従って人為的,計画的に形成される結びつき

これを読んで「あれ?」と思ったんです。
僕が「コミュニティ」だとばかり思ってたあれって、どっちかというと「アソシエーション」なのかも…

「休み時間」が嫌い

ここでちょっと、コミュニティに対する反射的なネガティブ反応の理由について書いておきます。
最初はその理由について自分でもはっきりと像を結んでいなかったのですが、これまた「コミュニティマネージャーズ」マガジン内の、コミュニティを情報とつながりの2軸で解説した長田 涼さんの記事を読んではっきりと自覚しました。

引用ばかりで恐縮ですが、コミュニティを情報軸とつながり軸の高低から成る四象限で分類した時の左上―つながりも情報も高いゾーンのコミュニティに触れた部分です。

一見最強に見えてしまうポジションのコミュニティですが、実はこのコミュニティには日本で生まれ育った人であれば、誰しもが所属したことがあるコミュニティなんです。

そう。学校です。

学校では、教育という名の下、様々な教養や勉強を学ぶ場所。つまりそこでは、勉学という情報を学ぶためのコミュニケーションで溢れています。

また、同級生という友達づくりを行なうコミュニティでもあります。誰かとつながることが求められ、それを目的としたコミュニケーションも溢れています。休み時間とかまさにそうですよね。

休み時間!

嫌いだったんだ、休み時間が!

学校はさほど嫌いだった訳でもないけど、とにかく休み時間は嫌いだった。そこには誰かとつながることを求める抑圧が確かにあった。

別に単語の意味に含まれている訳ではないし、いち側面でしかないとは思いますが、「コミュニティ」という言葉の中に半強制的につながりに引きずり込もうとする引力を見てしまって拒否反応が出るのかもしれません。
ただこの引力にも恐らくコミュニティの性質による強弱のバリエーションはあって、オンラインコミュニティなんかだと、同じ時間軸を共有していないだけに「休み時間的」な強制力が働きにくいなとは感じます。

アソシエーションの方が居心地がいい(?)

こんなふうにいうと主体性がないと思われるかもしれませんが、コミュニティとアソシエーションの二つの概念を見比べた時に、「あ、僕アソシエーションの方が居心地良いかも」と思ってしまいました。

上の坂口さんの解説を別の言い方をすると、

コミュニティはメンバーの「存在」に価値を見出す
アソシエーションはメンバーの「行為」に価値を見出す

ってことになるのかと思いますが、

「あなたがここに居てくれればそれでいいんだよ」ていうのと
「あなたがここで求められるのはこの役割だよ」

どちらを言われた方が精神的に安定するだろうかと考えたときに、1対1の関係性の中では前者の方が安心できるかもしれないが、3人以上の集団になった時に「ただ居ればいい」と言われると逆に不安になりそうだなって思ってしまいます。「行為」に期待されるとやる気が出るけど、「存在」に期待されても困る…みたいな。

とはいえ、例えば家族とか友達って間違いなく前者だし、だからこそ代えがたいものであるはず。(そして時に厄介なものでもある)
そうすると、僕はあまり家族的なしがらみを増やしたくないって思っているのかもしれないし、そう発想する時点で家族をしがらみだと思っているのがばれますね。しまった!

ところで、今「しがらみ」って入力したら変換候補に「柵」って出たんですけど、しがらみを漢字で「柵」って書くって知ってました?
「水流をせきとめるため、杭を打ち並べて竹や木を横に渡したもの」が語源なんだそうですよ。へぇ。

そんな人間がコミュニティを作ろうとしてる

と、ここまでなら「私はこういうタイプの人間です」という自己開示だけで話は終わりですが、実はそんなつながり嫌いの人間がコミュニティを作ろうと思っているから話が厄介なんです。
より正確に言うと、今ある課題を解決しようと思ったらコミュニティ的な在り方でないと持続性がないだろうと思っている事案を抱えています。

僕は、京都岐阜県人会という団体に事務局次長という肩書で所属しています。名簿の管理や郵送物の発送などの事務的な処理を預かっているんですが、有り体に言えば「おしごと」の延長で関わり出したら逃れられなくなって今に至っています。
冒頭近くで述べた「コミュニティ」だと思ってたけど「アソシエーション」かもしれない…というのがこれです。
今年で発足から117年経つ団体ですが、率直に言って高齢化が進み仕組みが硬直化してしまっています。会員同士の自然発生的なコミュニケーションはもはや僅かで、年間の決まった行事をこなすためにかろうじて生き長らえているような状態です。とかいうことをネット上で詳らかにして怒られる心配もしていない程度にはしんどい現状。
もちろん、117年の昔からそうだった訳ではないはずで、今はメンバーの高齢化と時代の変化とともに役目を終えつつあるその途上にあるんだと理解しています。そもそも愛郷心(岐阜県羽島市出身)のかけらもない僕のような人間が事務局次長やってる時点で結構間違ってる。(ちょっとアイロニー入ってるんで悪しからず)

ただ、この団体にも数百人規模のファンを抱える主催イベントがあります。(正しくは、既に単体でイベントを維持するのは限界で、一昨年から大阪と神戸の岐阜県人会との連合が主催ということになっています。)

郡上おどりin京都

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僕はこのイベントの実行委員長をしています。
が、イベントの盛況ぶりに反してこの実行委員会というのが県人会と同じくほぼ機能していない。イベントを維持するためのスタッフが圧倒的に不足しています。
おどりのイベントだし、当日はスタッフもそれなりに走り回る。イベントがスタートした12年前には立ち回れていたメンバーも年を取り、なかなか思うようにはいきません。また、商業施設の通路を借りて開催するので、一般利用者の安全確保のためのレギュレーションも年々厳しくなって人手が要る。そして無料イベントなので十分な運営資金がない。

県人会は半分「おしごと」ですが、このイベントに関してだけは何とか続けられる形で続けていきたい…と率直に思っています。

ご存知の方もいらっしゃるかもしれませんが、東京には同じく「郡上おどりin青山」というイベントがあって、京都よりも圧倒的に大きい規模で二十数年間続けられています。

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▲郡上おどりin青山の規模感 地元の商店街振興組合が主催


岐阜県郡上八幡で毎年7月から9月に開催される「郡上おどり」には熱狂的なファン(こういう人を”踊り助平”と呼びます)も多く、その中にはそれこそ自然発生的な無数のコミュニティがあります。郡上おどりin京都はそうした人たちに支えられながら12年間続いているイベントですが、主催者側からそうした熱が消えつつあります。
別に”踊り助平”だけで構成された実行委員会にしようとは考えていません(そもそも僕が踊り助平ではない)。参加する動機に多少のバラつきがあっても、熱量にグラデーションがあっても構わないので、ただ粛々とタスクをこなすだけの運営ではないものにしていかなきゃならない。
イベントに収益性を持たせる仕組み作りも必要ですが、もはや盤石な組織がない中で営利イベントではないものを持続させるには、「これをやりたい」という想いでつながる関係性を生み出してうまく活かしていかないと難しいだろうと思う訳です。いや、もうちょっと打算的なものも混じってて全然OKだけど。
でまぁ、そうすると、それってアソシエーションよりもやっぱコミュニティだよな…というところに至ります。

なんか漠然とした話だし、実際のところまだ来年に向けては何も動いておらずこんなところでぼやいているだけですが、来年6月の開催までに何が出来るか動きながら考えていきます。WDAもある種その一環だったり。

ご興味のある方は mescodelic.wihaあっとgmail.com までご連絡ください!



(…って散々コミュニティ苦手だとか書いた人間が呼び掛けて、誰が連絡を寄越すんだろう?)


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