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進次郎で学ぶ、脳を破壊する日本語作文

言葉は大切だ。なぜなら、言葉は、その人が考えていることを行動の次によく表すからだ。

とくに政治家にとって、自分が何を考えているか国民に理解してもらうのは、本来ならば重視すべきことだ。それなのに、進次郎ときたら、ここ最近は何を言っているのかよく分からない。何を言っているのかよく分からない人は、何を考えているのかよく分からない。「この人の政策に賛成だ」と思ってもらうべきところを、「セクシー小泉」とか、「ヤリチンデキ婚マン」とか、「クリステルとどんな顔でセックスしてるんやろう」とか思わせてしまうならば、政治家として失格だ。

一方で、他人の間違いから学ぶべきこともある。日本人の意思疎通能力が問題視される今こそ、新次郎語録を使って、きちんと伝わる日本語を楽しく学びなおそうではないか。


実践編

新次郎の問題発言として、次の言葉が記録されている。

「私の中で30年後を考えたときに、『30年後の自分は何歳かな』と発災直後から考えていました。だからこそ私は、健康でいられれば、30年後の約束を守れるかどうかという、その節目を見届けることが、私はできる可能性のある政治家だと思います」

この発言は、放射能汚染土の県外処分を具体的にどう進めるか問われた際、進次郎の口から出た返答である。一番の問題は具体策をきかれたのに具体策が出せないことであるが、そのことは日本語と関係ないので無視する。他の問題点は以下。

・結論が無意味。見届けてどうするのか。ぼーっと見ているだけか。

・「私の中で30年後を考えた」と「『30年後の自分は何歳かな』と発災直後から考えていました」は、ほぼ同じなので片方で良い。あることを考えているときにそのことを考えているのは当たり前である。

・「可能性のある」と「思います」はどちらも100%の保証がないことを表す言葉なので、片方で良い。

・「だからこそ」の前後に因果関係がない。

これらを踏まえ、汚染土移送の具体案が出せないという前提で、単純に言葉として正しく書き直すと以下のようになる。

↓日本語訳

「発災後、『30年後の自分は何歳だろうか』と考えたことがあります。健康でいられれば、まだ生きているでしょう。そのとき、私は自分の約束を果たせたかどうかを問われることになります。30年後、福島の皆様に『約束を守らなかったじゃないか』と言わせることがあってはならない。言われたくもない。だからこそ、責任をもって、今、全力でこの問題に取り組んでまいります」

ずいぶんとマシになったはずだ。まだ問題点があるとすれば、公共の問題を自分自身の問題であるかのように語っていることだ。わざと自分の体験や感想に結び付けて話すことで相手に痛いところを突かれないようにする技術があるそうだ。しかし、この話術を多用すれば、まともに答えるつもりのない人・責任を取れない人と思われてしまうので、ほどほどが肝心だ。



応用編

進次郎のように、意味のない無意味な繰り返しを何度も多用したり、言葉の因果関係を意図的にわざとおかしくすることで、聞いている相手の思考力を奪ったり失わせたりすることができる。しかし、この技術は全く役に立たないどころか、無駄でさえある。ならば、実際にその利用例を見てみよう。


例①「乗るしかない、このビッグウェーブに」

↓ エンプレス翻訳

「あのビッグウェーブがやってきたぞと思ったとき、強く感じました。『ああ、大きな波が、きたぞ』と。『乗らなければ』と。だからこそ、この波に乗らなくてはならない。セクシーかつ、クールに、乗りこなさなくてはならない」


例②「いまここじぶん」

↓ エンプレス翻訳

「今、ここに自分がいるということ、紛れもなく存在するという事実、これは万が一の疑いもない100%の可能性であるわけですが、では今、ここに自分が存在しているということそのものが、今、自分が、100%のあるべき自分であるというわけではない、ということが言えるわけです。つまりですね、何が言いたいかと言いますと、今、自分はここにいるべきではない」


例③「仰る通りです」

↓ エンプレス翻訳

「私は、いま仰った通り、私は仰る通りのことをしてしまったわけですが、今のご指摘で仰った通り、私もきちんと反省をして、安心して任せられると、国民の皆様に、そう仰っていただけるよう、全力で勤しんで参るべきであると、先ほど、総理のほうからも仰っていました」


例④「日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから」

↓ エンプレス翻訳

「最近ですね、『30年後、40年後、日本列島は日本人だけの所有物ではないのだろうか』と考えたことがありまして、そのとき私は、『日本列島は日本人だけのものではないかもしれない』と思ったんですね。そのあと小名浜の組合長にお会いして、『何がとれますか』とお聞きしたら、『ノドグロがとれるんですよ。一緒に食べませんか』と。『あぁ、いいですねぇ。ノドグロ、おいしいですよね。ぜひ一緒に食べましょう』と、そうお答えしたんです。あのときの嬉しそうな顔。あの笑顔をね、忘れてはならないと。壊してはならないと。だからこそ、そういった、30年、40年後も日本らしい日本、輝かしい日本、そういうものを全力で守る使命がある、そう考えています」


まとめ

いかがだったろうか。このように、一見して全く役に立ちそうもない出来事でも、使い方によっては、ひどく有意義なこととして役立てることさえ可能といえるかもしれない。

言葉のパワーというのは、凄まじい力を持っているのだ。

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