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映画夢
1ヶ月に2,3回くらいの頻度で、ものすごく完成された物語の全編の夢を見る。
なぜか私自身が出演していることもあるけれど、夢を見ている私個人としての立場はまさにその映画の視聴者で、ただそのストーリーに心を動かされる。
驚くのは、それが、本当に綺麗で鮮明な映像と、登場人物、そしてどこにも見たことも聞いたこともないような設定とストーリーで構成されていることだ。
それでいて突飛でありえないような設定でないのがおもしろい。
私はいつかこの夢の全てを文章におこして物語として完成させて、現物としてこの世に放出してみたいと自己満足的に思うのだが、それが夢であることが大きすぎる障害となっている。
ひとつひとつの映像は1日程度なら頭に焼き付いている。
昨日見た物語のテーマとなる舞台はコンクリートだった。
地下に向かって酷く沿ったコンクリートを下った先の地下空間。
天井のコンクリートは反対に地上に向かった綺麗な曲線を描いている。
その曲線と曲線で作られた不恰好な光が優しく差し込む薄暗い地下空間。
そこが登場人物4人の活動場所だった。
近くには工事中の道路、コンクリートの液体に、熱で柔らかくなったコンクリート。
グレーな映画だった。
ある時はミステリーだった。
迫りくる包丁を持った殺人鬼は、隠れる私という十数人の登場人物の中の1人に向かって走っていた。
その舞台は電車の線路。
廃線となった鉄道の跡地みたいに、大きめの砂利と短く生えた雑草の緑。
私が隠れるのは壊れかけの木の囲いのようなところ。
この、体感2時間強の映画夢を見終わって起床した朝は酷く疲れており、胸糞映画を見たあとのように全身に重力感が襲ってくる。
現実の映画を見る時と同じように、夢の視聴者の私は自分の鼓動を知り、時に思い切り叫んで喜び、時に枯れるくらいの涙を流す。
と同時に、美しい達成感が心を満たしている。
自意識過剰な話だが、「ドライブ・マイ・カー」に少し似ている、と思う。
妻・おとの性行為時の脚本の創作の話。
残念ながら覚醒時に錯乱しながら物語が出てくることはないし、それを語る術も持っていない私は、一般に見る夢と同等の価値の夢しか見るることができないし、そもそも同じような経験を何度かしている者も少なくないだろう。
たかがある20代女性の夢物語、
私にとっての大切な映画夢。
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