見出し画像

「さんかくの家には、父もいた。」#02 暗闇の相手は篇

前回のおはなし: 01 神様のテスト編

映画『パラサイト 半地下の家族』を見た。
まだまだ映画館で上映されている作品でもあるし、ひとりでも多くのひとに見てほしいなあと思うので、あまり内容の詳細に触れるつもりはない。

ただ映画を見終わったあと、わたしは、まだ大学生であったころのある夜のことを鮮明に思い出していた。
ピザの箱を組み立てたことはないし、子ども用のテントは買ってもらえなかったクチなので、そんな楽しげな思い出ではない。
わたしが「はっ!」と、ずいぶん昔のことを思い出していたのは、あの豆電球のようなライトがチカチカと点滅していたシーンだ。

映画を見ている最中にも「はて、なんだっけ、この懐かしさは」と感じていた。だけれど、それよりなにより、スピーディーに進行していく予想もできない展開に、心も頭も飲み込まれていき、しばらくはすっかりと忘れてしまっていたのだ。
ところが劇場を出て、風にあたり、「ああ、おもしろかった」と街灯を見上げたところで、「はっ」とすベてが蘇える。

あれは、大学3年生の夏のことであった。

***

あるとき、わが家の郵便受けに一通の手紙が届いた。
丁寧な文字で、「中前結花 様」とだけあって、差出人の名前はない。
「誰からか、書いてへんのよ」
と母に見せると、母はいたずらそうな笑みを浮かべて
「でも、もっと、重要なことがわかるねえ」
と言った。
「重要なこと?」
「郵便を届けるときには、なにが必要?」
「…… はっ」

その便箋には、「切手」が貼られていなかったのだ。

「その人は、名前も書かずにわざわざ玄関まで手紙を入れにきたんよ」
母は、こういうことをやたらとおもしろがる。
「開けてあげようか」
「いい。自分で見るから」
普段、そんな封の開け方はしたことがないけれど、ペーパークラフト用の小さなカッターを使って、わたしはゆっくり封筒を開いた。

中からはきれいに折りたたまれた、封筒と同じコットン素材の便箋が入っていて、これまた封筒にあるのと同じ美しい文字で、
「中前へ」
から、その文章は始まっていた。
「中前」その呼び方と、なんだか潔い便箋の使い方に、わたしは読まずともすべてがわかってしまった気がした。

中前へ
メールアドレスもわからんので、手紙にしました。
◎◎です。
この前、電車で久しぶりに会ったときに聞きそびれて。
連絡してもらわれへんかな?
XXX_XXXXX@docomo.ne.lp 

 (飯でも行こうという意味です)

頭のてっぺんのちょっとすぐ下、後頭部のその奥のあたりが、まろやかに痺れるのを感じる。
これは「セミ ラブレター」もしくは、「ラブレター イヴ」だ。
愛を囁かれているわけではない。だけれど、きっと
「これから、もしかしたら愛を囁く可能性が多分にありますよ」
という宣言である。
ずいぶんと鈍感なわたしの頰さえも赤らめさせる、とても大胆な方法に思えた。

その手紙が届く1週間ほど前、わたしは電車の中でいつものように、とてもぐっすりと眠りに落ちていた。
それは、最寄りの駅への到着にも気づかないほどに。

すると、誰かが肩をポンポンと数回叩きながら、
「中前、駅やで」
と起こしてくれたのだ。
「あ、ありがとうございます、……?」
見上げると、そこにはわたしの知らない男性が立っていた。
色白で線が細く、ずいぶんと美しい顔をしている。

見惚れていると降り過ごしてしまうので、とりあえず荷物を抱え、不恰好な姿でその青年と電車を降りる。
「わかってへんと思うけど、◎◎やで(笑)」
そのひとは、人生で何度か出会ったことのある名字を名乗った。
そして頭の中で順に照らし合わせ、
「ああ…!」
とわたしは閃く。小学校の同級生だ。
わたしは卒業後、遠くの中学校に進んでしまい、それから互いに顔は合わせたことがない。そして、すでにふたりは大学に進学し20歳を迎えていた。
「◎◎君か。なんでわかったん?ずっと会ってへんし、わたし目閉じてたのにさ」
「目は閉じてたけど、口は開いてた(笑)」
「良くないと思うよ、そういうの」
わたしは、すっかり小学生時代に戻った気分だ。
「オレ、何回か電車で見かけてるから。今日は起きひんから、起こしただけで。もう、遅いからさ」
時間はすでに24時を回ろうとしていた。学校帰りに、ドーナツ屋でせっせと働き、今日は床のモップがけまでした。
そういえばわたしの顔は化粧でドロドロに溶けているんだったと思い出し、心の中で舌打ちしたくなる。
まさか、こんなに美しい青年と話せるなら、もう少し身ぎれいにしておくんだった。

「送ろうか」
彼は自然にそんなふうに言った。
「いいよ」
わたしは首を横に振る。
「家の方向、反対じゃなかった?わたし7〜8分で着くから」
「7〜8分なら、大したことないから、いいやんか」
そう言って、彼はともかく自宅までの道のりを付いてきた。

大学のこと、アルバイトのこと、小学生時代の友人のこと……
早送りのように手短にそんなことを話していたら、
あっという間に自宅にたどり着いてしまった。
「わたし、ここやから」
「おう、そうか」
そう言ったけれど、彼は特に引き返す様子もない。仕方がないので、
「就職はどうすんの?」
と、植え込みのレンガに腰をかけたら、彼も同じようにして隣に座った。
「やりたいことがあるねん」
彼は、医療系の勉強をしていて、ある特定の(とても特殊なので伏せておくけれど)医療機関で、自分の勉強を役に立てたいと思っていた。
「中前は?」
彼の話を聞いて、なんだかわたしは自分について話すのが途端に恥ずかしくなる。
ただただ「テレビが好きだから」という理由でマスコミ就職を志し、
テレビ局のインターンに挑戦したり、大学でも「マスコミ実践講座」なるものに参加していた。
番組づくりの真似ごとをして、先生に褒められてはいい気になっていた。
わたしの頭は「誰かに見てもらうこと」ばかりだった。

「なんか、恥ずかしいから、いいや」
「なんで?」
「だって……、なんか立派じゃないから」
「立派に聞こえるように俺が話したせいやな、ごめん。立派じゃないよ。ただ好きやねん、いまの勉強」
ふわりと胸の底が浮き上がるような感触がした。
「わたし……、テレビ、好きやから。テレビ局で働きたいねん」
「最高やん。尊敬する」
「なんで?」
「だって、小学校のときからずっとテレビの話してたもんな、俺めちゃくちゃ覚えてるわ。『歌の大辞典』とかさあ、『笑う犬』とかさあ。ずっと好きなものがあるって、いいやん。頑張ってな」
くすぐったいような気分を感じながら、いい人だなと素直に思った。

そのときだった。
「電球替えたほうがいいで」
彼の目線の先には、わが家の表札の上で灯っているライトがあった。
ずいぶんチカチカ、チカチカと点滅していて、今にも切れそうだ。
「そろそろ入ろうかな」
わたしが言うと、
「ああ、せやな。そしたらまた。偶然会おう(笑)」
と言って、彼は帰っていく。
後ろ姿が、あのときの小学生とはあまりにもかけ離れていて、なんだかとても不思議な気分だった。

手紙を仕舞って部屋を出ると、
「ラブレターかあ。いいなあ」
キッチンで母はそんなことを言ってため息をついた。
「若いっていいねえ。これからもたのしいことがいっぱいあるよ」
母はいつもそう言い聞かせてくれる。
「ラブレターとは違うと思うけど……」
なんとなく勿体無い気がして、この前の出来事は話さずにいた。

夜になって、わたしは連絡しようか、どうしようか、と1時間以上は悩んでいた。アルバイト先のひとに片思いしている身でありながら、他の男性にまで連絡をする、というのは不埒ではないか、と思ったのだ。

わたしの中には、ひと一倍の理性があった。
しかし、まるで客観性がなかった。
そしてようやく気づく。
「しまった、そうだ。片思いは特にうまくいってないんだった!」
わたしはメールアドレスを携帯に打ち込み、

件名:お手紙ありがとう。

本文:
この前もありがとう。

と送った。メールの返事は、たった数秒で戻ってきた。

電車で数分の、ちょっとした繁華街まで出向き、すこしおしゃれなお店でふたりは中華を食べた。
わたしは甘い梅酒のソーダ割りを飲んでいて、彼はジョッキでビールを飲んだ。「ずいぶん大人だな」と感心する。

だけど、彼が話してくれるのは、どれもこれも小学生のときの思い出ばかりだった。
「調理実習でつくった目玉焼きをひとつ持って帰った話」
「習字の時間に、小筆で字を補正して先生に叱られた話」
まるで、大きな子どもを見ているようで、ほんのすこし退屈で、だけど、ほんのすこし微笑ましかった。
20歳のわたしは、なんだかとっても生意気だったのだ。

「送ろうか」
彼はこの日も、駅で自然とそう言ってくれた。きっと断っても来るのだろうから、
「じゃあ家の前まで」
とわたしは送ってもらうことにする。
道すがら「前回、もっと短く感じなかったかしら?」とふと思ったが、
これもわたしの生意気だ。

家の前まで着いたけれど、なんとなくぎこちのない時間が流れる。
今日はデート用のスカートを履いているから、植え込みにも座りたくはなかった。
「今度さ、車借りるから、もうちょっと遠く行かへん?伊丹で映画見るとか」
「うん、見たい映画見つけたらまた連絡する……」
わたしは、それらしい返事をしたけれど、
彼はわたしではなく、わたしの後ろを見ていた。
「電球(笑)。まだ替えてなかったんやな」
電気は以前にも増して、チカチカチカチカと忙しなく点滅していて、もう今にも消えそうだ。

画像1

あれ……。わたしは不思議に思う。
先週、母に「替えた方がいいよ」と伝えると、
「そう、みっともないもんね」と以前から承知している、そんな様子だったのだ。
「まだ電球買ってないんかも(笑)格好悪いね」
わたしが笑うと、彼は首を振って
「ううん、そういうことは思わへんよ」
とやさしく言った。
きっとこの人と付き合うことになるんだろうな、とわたしはぼんやりと胸の中で思っていた。
飛び上がるほどうれしい、という感情ではない。だけど、なんとなく長く一緒にいられるかもしれない、そんな予感をほんのりと感じていた。

しかし、そのときだ。

「もう、いい加減にして!!」

母の大きな声が自宅から聞こえる。
あまり感情的になることのない、やさしい母がどうしたのかと振り返ると、玄関横の窓をさっと人影がよぎった。

「ガチャリ」

と玄関が開く音がして、カーディガンを羽織った母が出てくる。
「本当ごめんね……、どうしよう、、どうぞ上がって」

母はすまなそうに彼に声をかけた。
彼は慌てて、
「あ、ご無沙汰してます、◎◎です。小学校で一緒だった。母もたぶんお世話になりました」
「えっ……、ああ、◎◎くん??大きくなって、、すごいハンサムでびっくりしちゃった。背、高いね。本当どうぞ上がって」
「あ、いえ、すみません長々と。今日はこれで失礼します」
「そう?本当にごめんなさいね……。もう、どうしようもない人で。。お父さんが、もう10分以上電気をカチカチカチカチやってるの。ずっとよ。もう、本当にみっともない、ごめんね……。前回もお父さんやのよ。。」

「え!!!!!!!!」
思わずわたしたちは固まってしまう。

「お父さんに悪いので失礼します……(笑)。また今度謝らせてください」
彼はそう言って「じゃあ」と手を振り、夜の道を帰っていった。
わたしは呆れてものも言えない。

「ごめん、お母さんの監督不行き届きで……。何回も注意したけど、あんまり彼がシュッとしたハンサムやから、悔しかったみたい」
母は詫びながら後ろをついて来るけれど、ちょっと免じる気にはなれない。
父とは、本当にそういうひとなのだ。

わたしは玄関を開け、脱いだヒールも揃えず、ずしずしとフローリングを踏みしめ、父が逃げ込んだリビングへと向かう。
そのとき、手に持っていた携帯電話にメールが届く。彼からだ。
「許してあげて、なんだか気持ちはわかるから(笑)」
彼は、そういうやさしいひとだった。
だけど、ちがう。これはちっともそんな問題ではないのだ。

「……お父さんっ!!!!!!」

10年近くの時を経て、そんな夜のことを思い出していた。

半地下の家ではなかったけれど。
ずいぶんとチカチカ素早い器用な点滅だったと、今となっては、にやりと笑みがこぼれてしまう。

(イラスト:入江めぐみ

エッセイ執筆の糧になるような、活動に使わせていただきます◎