見出し画像

宗教とか

あまりにもnoteを放置していた。
最近の私は、極端に考えることが少なくなってきた。
良いことなのかもしれないし、あまり良く無いことなのかもしれない。
色々な自分を見つめて意思を固めていくうちに、どんどんと色んなことを考えることにも整理が付いてきている。

そんな中で、1年ほど前に出会った知り合いのことについて、久々に書いてみたいなぁと思った。

私は3月末までスーパーでパートをしていたのだけどそれを辞めて、今はニート生活をしている。18から20の3年間もニートだったので短期間で2回ニートをしていることになる。
まあそんなことはどうでも良いのだけど、その中で私と歳が近い方とよく話すようになった。

その人は、どうやらエホバの証人らしい。
私はニュースをほぼ見ない人間なので、どうやら何かあったらしい事しか分からないけれど、まあ多分その人は私を宗教に勧誘したいと思って話しかけてきたのだろう。

その人自身はとっても良い人なのだ。
でも時折、その人が妙に世界をどうでも良さそうな顔で見つめていることがある。
私はそこが少し気になる点だった。
正直なところ私は無宗教で、全くもって宗教に興味がない。
そのことは最初に会った時に伝えていた。
私の中で、神という存在は自分自身だと思っている、と何度も厨二病のような発言をしたのだけど、それを受け入れてもらえた気はする。

自分の意見を受け入れてもらえて、その人の話を聞いていく中で、棘のある言い方になるけれど、本当にこの人たちは宗教というものを信じなければ生きられないのだろうかと言う疑問が浮かんできた。

その人たちは常に集団で行動するようで、何があるにも誰かと一緒らしい。
そして仲間たちを家族と言うらしいのだけど、他人は他人だろうと思ってしまう自分がいる。

考え方を全て聖書から得て、これが正解だと言うことについても、どうしても疑問を感じてしまう。
宗教自体が悪ということではなく、宗教があって、そして教科書のようなものがあって、これが正しいと言うことについてそれをすべて鵜呑みにして本当にいいのか?などと部外者ながら考えてしまうのだ。

ここに書いてあることが全てで、絶対的に正しくて、間違いなどない。神がこの世を創ったとのこと。
これは、その人ではなくその人といつも一緒に行動を共にしている方が述べていた言葉だ。

私は今日、正にその人たちにお話を聞いてきた。
もちろん、入信?する気はさらさらない。
けれど、この人たちの心理とは一体どのようなものだろうと気になったので行ってみることにしたのだ。

率直に、自分には間違いなく合わないということが確認できた。
そもそも私は頑固なので、中々人の言うことを聞き入れることはないのだけども、やはり聖書ありきで話が展開されていくので、その人本人に質問を投げかけたとしても、全て聖書にはこう書いてあった、という答えが返ってくるので、私の中では大きな違和感があった。
その人の言葉ではないので、いまいち話をしているのがしっくりこなかった。
ただ、やはり聖書は永く読まれているので、そうだよね〜と思うことも何個かはあったが、その殆どは私の中では寧ろ間違っているのではないかとも感じた。

宗教の話を聞いて思うことは、何故か日本では宗教の話をすることがタブーとされている事だ。
かと思えば、こうしてさまざまな宗教へ勧誘するような活動があるのも不思議だ。
そして何故か、有無を言わさぬ緊張感が走っている。
間違えているなんて言ったら許さないぞと言わんばかりの圧力を感じる。

私は寧ろ、宗教や、政治などに関しても人々が意見を言わなければ都合の良いように解釈されてしまうと思うので、もっと家族間でも話したほうが良い気がする。
自分の考えだったり、価値観だったり、好きなことや苦手なことや、何でもだ。
自分の意見をはっきり言えるようにならなければ、この混沌とした世の中を生き抜いていくことはより難しくなるだろうなあと思う。

私も、本当は全然興味がないのにも関わらず宗教の話を聞きに行ってしまったことが間違いかもしれないとも思ったけれど、今度会ったらその後はもう会わないようにしようと思っている。
自分に嘘はつけないと思ったので。

そもそも、自分の考えが固定されていれば、宗教に入らなくてもきちんと自分の意見を言えるし、NOとも言えると思う。
そこのところが自分はまだまだなのだなあと思って、これからも精進していこうと思っている。
でも、色んな人の生き方や考え方を知るのは好きでとても楽しいので、これからも色んな人の意見を取り入れてみたいと思う。
そしてその中で、確固たる自分を見つけていきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?