愛を愛せよ言葉を紡げ

有難いことに幼い頃から自分の書く文章で褒めていただくことが多かった。「好きこそ物の上手なれ」、そんな言葉の通りなのかやはり幼い私は文章を書くことに病みつきになっていた。

幼い頃から、母や父が寝る前に絵本をたくさん読み聞かせていてくれたこと。小学二年生から六年生までで二級を取得するまでの四年間、友達と遊んだのと同じくらい漢字検定の勉強にも時間を注ぎ、おかげで私の頭には(恐らく)早い段階から膨大な語彙が詰め込まれていたこと。これらが私の文章を書くことへの愛を大きくさせた理由だろう。作文用紙を一度目の前にしたら周りの人が引いてしまうほどに文章を紡ぎ出すことに夢中になっていた子どもだった。

得意なこととど言えど、文章を書くというのは非常に労力を注ぎ神経を削る作業だと思っている。人によっては小学生の時から作文の授業や課題に辟易とさせられた人もいるのではないだろうか。そんな一種の「苦行」のような行為を何故私はこれまでの人生で病みつきになっているのだろう?

その理由はきっと、語彙力の権化になりたい、言葉と関わることを生業としたい、そして伝えることに貪欲になっているからという私自身の我儘に違いない。私が私であることを証明するが為に、自らを世間一般的に遠巻きに見られる苦行に封じ込めている。

私が伝えることに貪欲になり始める前までは、なんとなく心の中にあるふわふわとした言語化出来ない「なにか」を言葉にすることにはそこまで執着していなかった。国語の試験で文章で書けという形式の問題を解く時は苦労していた覚えがある。

いつからそう思い始めたのか、ちゃんとは覚えていない。ただ、言葉にしなくて、出来なくて、そのせいできっと私は多くの人を傷つけたし逆に傷つけられたことがたくさんあった。

私はある子と友達であった。空想のような、綿あめのようなどこか生温い世界で私達はきっと微睡んでいて、大事な事を伝え合う機会を手放していた。きっとどこかで互いに思ってたんだ。「都合が良い」って。そしてお互いが爆発した時にはもう遅かった。

素敵な人だったと思うし、責める気も無い。努力家で真っ直ぐなあの子と少しの間でも関わりを持てたことは私の中では腐ることも濁ることも無い。だから私はあの子を貶すようなことは書かない。お互いがお互いの悪さを相殺した。それでいい。

私が後悔することがあるとするならば、やっぱり、前述の通り言葉にしなかったことだろう。ほんのりと感じていた違和感。そういうことは言わないでほしい、なんでそんなこと、あの子は悪くなくないか?どうして私のせいにするんだ?その話は、もういいのに。ちりちりちりちり、なんとなく積み重なっていたもやもやと言葉。伝えたいと切に願ったのにやっぱり私は怖かった。私はそのもやもやを言葉にしたとき、あまりに酷い稚拙な単語しか思いつかなかった。そんなこと言いたいんじゃないのに。こう言ってボコボコに傷つけたい訳じゃないのに、別の言葉を探せ、何か違う色で伝えることが出来るはずだ。

でもまだ幼かった私には、それが出来なかった。結局簡単な言葉で淡々と関わりを切り、事務的な感じでその子との関係を終えた。その時の私にとっては、それが最善だったと知っているから、後悔も無いし未練も無い。今の私は、いくらか呼吸がしやすい。

でももう、こんな思いしたくないなと思った。

大好きな言葉というものを、誰かを攻撃したりされたりする武器とするのはあまりにも何だか残酷だ。

だから私は、もっともっと言葉というものを学んで、吸収して、発信していこうと決意した。言語化出来ないふわふわした思いや願いを、活字という乾いた存在でもいいからこの世界に残しておきたいと願っている。好きという感情も、こうあればいいのにという負の気持ちも、丁寧に紡いで伝えようとしたら、きっとちゃんと届くのだと思う。

私は自分のことや行いや立ち振る舞いを100%正しいとは思わない。でも、誇りには思っている。

愛することを愛せ、届くように言葉を紡げ、

伝えきれない何かを、ここにまた書きに来るまで。

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