見出し画像

山内容堂【歴史上の人物 数秘鑑定してみた】


山内 容堂 / 山内 豊信は、幕末の外様大名。土佐藩15代藩主。官位は、従四位下・土佐守・侍従、のちに従二位・権中納言まで昇進、明治時代には麝香間祗候に列し、生前位階は正二位まで昇った。死亡後は従一位を贈位された。諱は豊信。隠居後の号は容堂。土佐藩連枝の南邸山内家当主・山内豊著の長男。母は側室の平石氏。(Wikipedia引用)



冴え渡る直感力で、幸運を招き周囲の人生にも影響を与える人物。

正義と愛を胸に刻み、人々に奉仕することを使命として生まれた山内豊信(容堂)は、人生後半には社会を動かすような大きな力を手に入れていく。

本来、簡単には動かすことが出来ない政治や法律、日本社会をリードするような社会の権力者に、大きな影響を及ぼすような存在になる。

その一方で、感受性が高く嗅覚が優れているため、人の感情にも敏感で、人間関係でのストレスを抱えやすい、という繊細な一面も。

慎重派で几帳面、人と強調するのが苦手で、安定志向。本来、興味のあることだけしかやりたくない、という本人の心の奥の願望とは裏腹に、周りからは頼られ、面倒な仕事を引き受ける事も多い。

そのため、心の安定を保ちにくい豊信の人柄に、周囲の人間は戸惑うことも多かったのではないでしょうか。

人生の後半、容堂と改名した後は、それまでの生真面目で堅苦しかった人物像とは、売って代わり、自由を謳歌し、人々に勇気を与えるような、そんな存在となる。

周囲の人間からは、天真爛漫だけど、他人のために一生懸命に応えようとしてくれる、親切な人。突拍子もないことを言ったり、空気の読めない一面もあるけれど、周囲に癒しを与えるような存在、と思われていたのではないか、と思われます。

この記事が参加している募集

スキしてみて

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?