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映画「風立ちぬ」と義父

ジブリ映画「風立ちぬ」が昨夜、テレビでやっていた。
公開当初、映画館で鑑賞し、これは私よりは義父が観るべき映画だと強く思った。
義父は昭和3年生まれ。
3年ほど前に亡くなったが、頭脳は終生、聡明だった。

以前、「風立ちぬ」がテレビ放映された時に録画して義父にDVDを渡した。
飛行機好きの義父がどんな感想を話してくれるか楽しみにしていた。
ところが、義父の反応は妙に冷ややかだった。
あれ?本当に観たのかな?と思うくらい。
やはりジブリ作品と言えど、アニメじゃ80歳を超えた義父の食指は動かなかったか…。

「台車に載せた飛行機を牛が引っ張っていたでしょう?」

…ん?…ああ!あった、そういうシーン。
倉庫から出してくる新品の飛行機を牛が引いていた。

「あれ、本当に牛が引っ張るんですわ。だから飛行場には牛も飼ってるの。面白いでしょう。」

昔、憧れ見た光景を思い起こしながら義父が話してくれた。
しかし私としては、え?映画の感想、そこ?!と不意打ちのパンチに仰天。相槌しか打てなかった。

そうだ、そう言えば、昔々「タイタニック」を観た時、ラストシーンに涙が溢れたと語る私に義父は

「タイタニックが転覆して沈む時、船尾のスクリューが見えるでしょう?」

ああ、あのシーンは私も「…ああっ!沈む!!」と思わずローズと一緒に息を止めましたわ〜!

「スクリューの羽が3枚だったでしょ。タイタニックは3枚羽スクリューなんです。」

…え?
いや、確かに普段、見えるはずのないスクリューが天を向いたのはインパクトあって覚えてるけど…羽の数は数えてないわ〜〜!

「4気筒エンジンでね。煙突が4つ、大きなのがあったでしょ?」

いやぁ〜…煙突が確かに多いとは思ったけど…4つもありましたっけ?3つじゃなかった…??

「4本です。」

…そう、義父は船、電車そして飛行機大好きのマニア。
だからこそ、昔の戦闘機がたくさん出てくる「風立ちぬ」も興味があると思ったんだけどな。

「ん〜、もう少し前のね、複葉機の頃の飛行機が…いいですな。」

え?そうなの?!
いや、でもそういうのも出てきてたじゃない。

今から思うと…
義父はこの映画を観て、とても複雑な気持ちになったのだと思う。
義父には5歳上の兄がいて戦時中、軍司令部で飛行機の設計に携わっていたのだ。
ところが終戦の前日、8月14日の大阪陸軍砲兵工廠への空襲で命を落とした。

義父の飛行機への思いは、その兄の影響や羨望があったのだろう。
中学生の部活動は飛行機部に所属。
淀川河川敷で、先輩の乗る飛行機にロープをつけ、凧揚げよろしく後輩たちが引っ張って走る。
すると、飛行機がほんの3mくらい浮いて飛ぶ。
それをひたすら繰り返すらしい。
自分たちが先輩になる頃には戦局が悪化し、部活動どころか授業を受けることさえ難しくなり、学徒動員で大砲の弾を磨かされる毎日だったそうだ。

本当はもっと勉強したかっただろう。
進学も当然できたはずだ。
しかし空襲で家と兄を失い、義父の未来は大きく変わった。
しかし、そんな愚痴は一度も義父から聞かなかった。
失ったことを恨み、他を羨むのは生き方として美しくない。それが義父の姿勢だった。

だから映画の感想は聞けなかったのだろう。
亡くなって後、義父の机を整理すると、ボロボロになった皮のパイロットゴーグルが出てきた。
義父は飛ぶ夢を生涯、持ち続けていた。
自室の机の引き出しの中に、こっそりと。
飛行機は“美しくも呪われた夢”なのかもしれない。


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義父について書いた記事はもう一つあります。

義父を看取った話です。
亡くなる数日前に、伝えたい言葉を言えて本当に良かったです。

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