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VRバンジーは強烈!体験クリエイターの野々村哲弥って何者?

皆さんこんにちは。

VRバンジージャンプを始めとするちょっと怖い体験をつくっている
野々村哲弥についてまとめました。

これから世の中に出てくるであろう人物の経歴や出身や活動内容について、WEBメディアがまとめ記事を書いているのをしばしば見掛けると思いますが、野々村哲弥について特に誰も書いていないので、自分で書いてみたという、やや痛々しくも思える記事ですがお送りしたいと思います。

元々FMラジオ業界で11年半働いていた経歴を持っているにも関わらず、どうしてわざわざ会社を辞めてまでVRバンジージャンプづくりに走っているのかでしょうか…。その生い立ちから見ていきましょう!

■野々村哲弥(体験クリエイター)の生い立ちと経歴は?

profile___新田さんレタッチ

1984年生まれ、兵庫県川西市出身です。
兵庫県川西市というと元ヤクルトスワローズの古田敦也選手やキングコングの西野亮廣さんと同郷ですね!

■学生時代はどう過ごしていた?

高校生の頃の将来の夢は広告やマスメディアの制作職でした。卒業後は同志社大学に進学し、広告のゼミや広告研究会というサークルに所属します。フリーペーパーやイベントなどのコンテンツ制作活動を行う中で、京都の鴨川の河川敷での野外上映会を実施したりもしていました。
(第一回 夏の鴨川座 カモシネマ/2005年8月27日)
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こういった一つひとつの経験から「ゼロから企画を形にする」ということの喜びを覚えたんだとか。「やりたい企画を形にする」というコンセプトのサークルも立ち上げ、手がけたイベントが週刊ファミ通で特集されたこともありました。画像3

地元を離れて京都で一人暮らしをし、様々な「経験/体験」を通して自らの世界が広がる感覚があったようです。そういった自己を拡張する欲求が自らの価値観として根付いたのはこの時期。それにしても、海水浴を経験したのが大学生になって初めてだったというのは(自分でも)驚きです!

リアル脱出ゲームを生み出したSCRAPは元々京都でフリーペーパーとイベントを企画する集団でしたが、彼らのフリーペーパーやイベントのファンでもありました。ボランティアスタッフとして記事を書かせてもらったこともあったとか?
まだ世の中にリアル脱出ゲームが生まれる前から「将来は加藤さんみたいになりたい!」と言っていましたね。

また、この頃、アートにも出会いました。京都のFMラジオ局 α-STATIONで編集者の後藤繁雄さんが「アートというのはアーティストがやりたいと思うことを純粋に形にしているもの。難しく考えずフランクに感じれば良い」という旨の話をしていたことをきっかけに、足を運んだ先で衝撃的な体験型インスタレーション作品と出会ったんだとか。
アートって良いですよね〜!

大学時代をまとめるとこういった感じでしょうか。
◎「体験が自らの世界を広げていく」という価値観が根付く。
◎「やってみたいことを形にする」を「生きる喜び」と捉えるようになる。

■就職はFMラジオ業界に

上京して株式会社ジャパンエフエムネットワーク(以下JFN)に勤めます。
面接では「目ヂカラがあって良い」と評価してもらって受かったそうな。

就職活動期間中に「営業を学びたい」と考えるようになったということもあり、営業部に配属となり、以後も広告営業をメインにキャリアを積みます。
◎JFN 営業部(2007年4月-2010年9月)
◎JFN 制作部(2010年10月-2012年3月)
◎FM大阪 東京支社(2012年4月-2015年4月)
◎JFN 営業部 (2015年5月-2018年9月)

元々不器用な性分もあり、何度も壁にぶつかっていましたが、頑張っていました。(本人談)
中国関連の新規事業のセールス担当も務め、数多くのミッションに対してそれぞれ発案と工夫と行動で乗り越えていくという胆力が磨かれていきます。人にも恵まれました。

■バンジージャンプと出会ったのは?何が魅力だった?

皆さんはバンジーで飛んだことはありますか?飛んでみたいですか?「怖くて絶対に嫌だ」という方もいると思います!

野々村は、スカイダイビング、スキューバダイビング、などと同じように「やってみたいから」と試しに体験しに足を運びます。そして初めてジャンプ台に立った時・・・

「えっ?」
「これ死ぬやん?」
「しかも自分で飛ばないとアカンの!?」

という「直面しないと分からない衝撃」と出会います!
「事前の想定を大きく超える驚き」があったということです。

「自分自身の意志のみで恐怖を乗り越える」というセンセーショナルなミッションと、乗り越えた時にある「達成感/開放感」というご褒美。初めて飛んだのは大学4年生の時でしたが、この時からバンジージャンプは野々村イチオシの「衝撃体験」になったんですね〜。画像6

時は過ぎ、会社の仕事を通じて新規事業を発案していた時のこと。ビジネスとバンジージャンプが野々村の脳内でリンクします。実は大自然の中で飛べるバンジージャンプは、GWなどの繁忙期は予約が取れない程の集客力があり、5分〜10分で1人あたり1万円以上もの体験料を大勢の人が笑顔で支払っていくのだそう。地方自治体にとって観光資源になるというメリットもあります。野々村は、これをラジオ局の新規事業にしたいと強く思い、社内で提案しました。

結果は当然NG・・・
今思えば随分準備が足りなかったとも振り返っています。

■退職の転機は?

決して「会社を辞める」ということが目的ではなかったんですね。
会社で出来ることを様々な方面で模索する中で、自分の将来を想像しながら悩み抜いた結論だったと振り返ります。

それまではチャレンジする際の資金だけ貯める日々が続きました。

きっかけを探し続けていたようです。迷走していたのでしょうか。
「炎に包まれる体験」を作ったりもしていました。
(Wrappled in the Flame/2018年2月)
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そんな時、Panasonicとロフトワークとカフェ・カンパニーが立ち上げた「未来を作る実験区 100BANCH」の存在を知り、国内最大規模の働き方の祭典「Tokyo Work Design Week」の代表である横石崇さんと出会います。

横石さんから

「まずは『バンジージャンプ』に絞りつつも、バンジーという上っ面の部分だけでなく『人の恐怖心』とか本質的な部分を研究してみる気があるなら支援するよ。」

と手が差しのべられます。

結果、横石崇さんがメンターとなって100BANCHに入居し、人の恐怖心や好奇心を揺さぶる体験づくりのプロジェクトが始まりました。
「バンジージャンプ」という絞ったテーマの中、何を形にするかゼロからの挑戦のスタートです。

■リアルバンジーづくりへの試行錯誤とVRバンジー

退職した後、野々村を支えたのはこういった信念でした。
「体験はその人の世界を広げる」
「体験への好奇心と歓喜が生きる力を育む」

とは言え、生活していく為の収入が必要ですよね。貯金を切り崩して生活しながら、バンジージャンプ体験の事業化へのチャレンジがスタートします。プロジェクト名は「面白い新しいドキドキ体験をつくる」を意味する「Omoracy」です。

はじめは本物のバンジージャンプづくりを計画し、下記に着手します。

◎世界で最も安全とされるバンジージャンプの運営マニュアルの取り寄せ
◎バンジーゴムの開発研究
◎バンジージャンプビジネスへ実際に携わるキーマンとの関係値づくり
◎法令の確認
◎保険会社と万が一の場合のシミュレーション
・・・etc

そして「あとは実行する為のお金を集めること」という段階まで3ヶ月でもっていきます。
ただ、面会するベンチャーキャピタルから資金は得られず、準備途中で出演した資金調達番組でもこきおろされます。


しかし丁度その頃、並行して取り組んでいたVRのバンジージャンプづくりが順調に進んでいました。仲間が出来て、VRバンジージャンプ装置の試作機がトライ&エラーの繰り返しによって洗練されていきました。

その開発過程や成果は下記にまとまっています。

『どこでもバンジーVR』リリースイベントのクラウドファンディング
『どこでもバンジーVR』メディア露出実績

バンジージャンプの一番の魅力である「自らの意志で飛び込む」という点と「頭から真っ逆さまになる」という点をVRアトラクションでありながら見事に再現しています。

2020年1月現在、ビジネスとして軌道に乗ろうとしている真っ最中とのことです。画像7

コンパクト版バンジー

■VRバンジーだけじゃない?街歩き恐怖体験ツアーとは

2019年7月には、所属した100BANCHのナナナナ祭で、100BANCH内外の層々たるメンバーと共に『街歩き恐怖体験』がつくられました。

世にも奇妙な怪談ツアー画像7

『渋谷にはかつて渋谷城が存在し渋谷家という武家が暮らしていた。』
・・・という嘘のような本当の歴史を題材とし、渋谷の街に眠る怪談をツアーガイドに導かれながら音声で聴いて巡るというツアーイベントです。

実は野々村は横石崇さんのアドバイスの元、「恐怖心」がどのように生まれるのかについて脳科学を勉強していました。
少し難しい話になりますが、ざっくり説明すると「恐怖」という身体反応は脳の中の大脳辺縁系という場所で五感で感じた情報を学習/処理する非言語の回路と、大脳皮質の前頭前野という場所で理性的/言語的に情報処理される高次の回路の大きく2つが関わっているとされています。
そういった知見への期待感から声が掛かり、プロジェクトリーダーを務めます。

◎既存のお化け屋敷は「五感で怖がらせる」エンターテイメントコンテンツであるのに対して、「想像させることにより怖がらせる」エンターテイメントコンテンツをつくることが出来ないか。

◎恐怖は記憶と密接な身体反応である為、その土地の歴史を記憶に残す次世代の恐怖体験コンテンツとして世に広めることが出来ないか。

そんな想いにで実現した実験プログラム。
ジャンルで表すと参加型/没入型の演出手法の演劇である"イマーシブシアター"です。

チケットは完売、協賛企業にも支えられ、参加者から大反響を頂いて幕を閉じました。

実施報告書は問い合わせると見せてもらえますよ!

■結局、野々村は何をしたい人なの?

ひと言でまとめると
「人をドキドキさせるヤバい体験をつくり続けたい」
ということでした。

体験づくりを生業としている人は世の中に多くいますが、野々村の場合は次のような体験を理想としているようです。

◎体験する人自身が主人公になる体験
(要素例…能動性がある、双方向性/インタラクティブ性がある)

◎感情の振れ幅の大きい体験
(要素例…想定値/期待値を超える驚きがある ※時に「恐怖」で演出する)

◎思考と感覚のバランスが最適化されている体験
(要素例…認知心理学のアフォーダンスを用い情報量を抑える)

◎不可思議な気持ちにさせる体験
(要素例…「現実世界の出来事であること」のリアリティを体験に組み込む)

・・・抽象的過ぎて理解しづらいいですよね。具体的には、いま六本木アートナイト2020のオーディション枠で企画提案中なんだとか。

VRでもARでもアナログでも、形にしたい体験のアイデアはたくさんあるそうです。
具体的な作品がもっと世の中に出てくると理解しやすくなりますよね!

2019年4月に立ち上げた株式会社ロジリシティのキャッチコピーは「踏み出す一歩を創る会社」。一人ひとりの人生が「冒険」のような"喜びを探す旅"になる未来をつくっていきたいということです。

以上、痛々しい自分語りのnoteでしたが楽しんで頂けましたでしょうか。
成功するか失敗するか未だ未知数の野々村哲弥をぜひ応援してください!

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