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"生きていて良かった"の日

夏も後半
先日東京に帰省して思ったことが

「島の方が涼しい…」

でした。
建物少ないし自然が多いので風が抜ける
本当は島の方が避暑地なのでは?感すらある。


とはいえ基本 日中は自宅に居るのでなかなか暑さを感じる機会もないが(昨年熱中症を繰り返したので 怖くて徹底的に避けてる)

それでもまだ世間の学生は夏休みで
お盆だねー、夏祭りだねー、
宿題終わった?
みたいな話をちらほら聞く事もあり

浴衣姿や駆け回る子供たちを横目で見たり
やや他人事っぽく夏を感じてる。


感じた事がたくさんあるんだけど
ちょくちょく書き出しては満足して
なかなかこうして長文にする機会もないので

そうだな、


最近は歌う機会をいただくことが増えた
私がやりたいって言ったからというのは勿論あるが
やりなー、って
やってねー、って
言ってもらえることの有り難さを噛み締める度、やっぱり今までは自分がやってはいけないと
制限をかけていたなぁと思う


音楽をやるべきではない
絵を描いて人前に出すべきではない

とか、多分自分の知らないところで自分の制限や縛りは沢山ある
良いものを見せなければ…っていうのは、勿論ある。自分にも他人にも求めてるものはあるよ

しかし他人には やりたい気持ちがあってやればそれでどんなでもおっけー

って思えるのに
自分には思えないの、なんだか勿体なくない?って

まず絵を描くことを始めて良かった。
絵を描くことを踏んでいなければ音楽も出来なかった。
頻度こそ減ったけど描き続けていて良かったな…



私が絵を描いていることを
知ってくれた人が声をかけてくれて
夏の海を描く会に呼んでくれた

すごく嬉しかった…

アナログで描くこともなかなかなくて
それって絵の具を出して片付けてが面倒だからなんだけど…

それでも、あればやるんだよなぁ…
かきたいもの、出てくるんだよなぁ…


先日描いた光降るOpheliaに続き
ひっくり返すと別の景色が見えるシリーズ
思えばこういう形の絵は、意識せずともよく描いている気がする。


夜があって昼がある
山があって街がある
どっちを強く意識するかは
人次第 あるいは時間帯次第
見え方ってひとつじゃないし
いろんな景色が その場面でも
見方や時間を変えればあるから

それ一つだけ描くのは勿体無いな…
って欲張りな気持ちが
絵に現れている気がする。

光降るOpheliaの時は、半分くらいは意図せずそんな形になっていたが


夕陽や月が海に映っている場面を描きたくなるのも、似たような感じ。

今目の前が全てだけど
今目の前だけが全てではなくて
それに連なる 時間の移ろいとか匂いとか
そういうのを描きたいのかもなぁ…。


さて、次は何を描こうか何を歌おうか
正直、音楽に関しては
楽しかったーっ!だけじゃなくて、課題も沢山あるが
おそらく乗り越えていけるでしょう

夕闇に留まり続けるつもりもないし
これでいいのかなーを、
無理やりこれでいい、におさめるつもりもないし
ひとりだけで完結するものもしないものも沢山欲しいし


随分と欲張りになった。
生命と人権の安心と安全が確保されている世界線にようやく立って
私はどこにでも行けるのでしょうね。きっと




最近は基本的欲求みたいなものの表出が増えました。きっと安心しているのでしょう。
皮膚接触とか、揺られたりとか、優しい声をかけてもらうこととかを求めたりとか。

きっと今まで満たされなくて大人ぶっていた私が、安心して声を上げることが出来るようになったのでしょう。

泣いたり笑ったり嬉しくて泣いたり
沸騰する感じじゃなくて、穏やかにありがとうを感じたり
自分の内面はきっと豊かだったんだなって 思う。知らない自分だ


きっと今までの私も癒えるでしょう
これからの私も癒えるでしょう
なんでもできるさ、やりたいことやろ。

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