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夜を超え続けるの日

華が咲きますか
今は秋ですか
夏は終わりましたか
冬を待ちますか
春はまだ遠いですか


花が枯れたり散ったりしていくように
習慣としていたことを
ひとつずつやらなくなって
それでも安心して立っていられるかと思ったら
やっぱりそうでもなくて

なにか なにかひとりで作って成して
世の中に晒していくことは
私にとって必要だった気がする


そんなわけでここのところ絵を描いておらず
題字みたいなものはこそこそと…たまに。


イベントタイトルです。
筆文字が好きだけど、なかなかデジタルで表現するのが難しい。アナログで描いてスキャンして…ということもまたそのうちやってみたいが。


気力がつき果てて なんていうか
昨年の今くらいの時期が本当に酷くて
入院したり手術したりそれでも全然良くならなくて…を感じ続けて辛かった時期の始まりだったから

というか とても辛い なんで辛い 体の不調のせいじゃない なんで?
って思い始めた時期だったからか

機能性胃腸障害になって 元が胆石だったのかもねー、から、胆石取って、それでも良くならなくて 心身ともに


本当の絶望みたいな、もうどうにもならない、ここが人生の底だって感じたのが2年前で

さらにその底があったを感じたのが去年の9月くらいで
まだ底があるじゃんを感じたのが12月…今年の2月


人間どこまで落ちられるんだろう、でもそう、まだ辛い人は居るんだからなあって思ってたが
なんでこんなやばい時に人と比較するんだろうね?って今になって思うし、やばい時に限って人と比較してまだ大丈夫 って思いながら沈んでいくよ

かわいそう 自分のことかわいそうだって思いたくないね


辛い

の環境や人間関係から抜け出したのに辛い
尾を引いてるだけかと思ったけどどうやら違うっぽい。

私のことを苦しめた元夫はもういない
たぶんもう二度と会わない

ただ関わっていた当時からずっと感じていた窮屈な感じ、感性や感覚を縛られている感じ、いつしか自分がここにいない…というか
離人感というのだろうか 現実からふわりと浮いている感じはまた容易くやってくる



10月の間に、島に来てから知り合った友人と、祖母が亡くなった。2週間のうちに2回葬式に行った、島だからかわからんが、同じお坊さんが告別式にいらした。

その出来事がだいぶダメージだったらしく
特に祖母は…祖母は 親族に優劣をつけるのはどうかと思うが、一番大好きな祖母だった。祖母も、孫の中であなたが一番可愛いってずっと言い続けてくれた。
もう私だって33になるというのに、祖母の中で私は小さい頃のままだったのかもしれない。

せっかく近くに来たのになにもできなかった、って思う反面、それでも一度だけ外食に連れて行ったり、たまにお弁当を買って祖母宅で一緒に食べたり、顔を見せたり、少しは 少しは出来たと思う。


96歳、いつなにがあってもってわかってたはずなのに、祖母のことだから100まで生きると思ってた。曽祖母が105まで生きたので
そんな確証どこにもないし、96なんて高齢も高齢なのにね

それでも、もういよいよですって時に 叔母と交代で見守るために、深夜の数時間病室で二人きり一緒にいられたことは 良かったと思ってる。


孫なりに、近くにいた孫なりに 固くなりすぎずに皆が笑って祖母を送れるように柔らかく居たつもりだったけど さすがに最後のお別れは辛かった。

何度も人の葬式に出ていたが、成人してから祖父母を全員見送ったが、こんなに実感を伴って悲しくて これが人が死ぬってことなんだって思ったのは初めてだった。


「もう祖母の顔を見ることができない、触れることができない、手を繋ぐことも声を聞くことも小さくなった体を抱きしめて体温を感じることもできない」


思い返すだけで辛い。死ってそういうもの


病室で祖母と二人きりだった時
せん妄で会話もほとんどままならず、眠りに落ちることが、きっと恐怖感だっただろう祖母が

「どうしたらいい、どうしたらいい」

と私に訴えかけてきたことが強烈に響いた
とてもその痛ましさ…恐怖感に触れ、覚えがあるその言葉に繋がって、少しわかってしまって辛かった。


私も去年の今頃 今年の初め 同じことを呟きながら恐怖に耐えていたからだ


「大丈夫だよ、こわくないよ、私がいるよ、みんないるよ、みんなおばあちゃんのこと大事だよ、大好きだよ、安心して」


精一杯祖母が苦しくないように、安心できるように、優しく抱きしめて、目を見て顔を見て、次第に目に映った不安さが和らいで、そのうち祖母は少しの時間眠りに落ちて、私も安心した。

こんな言葉を私はかけて欲しかったのかもしれない、
祖母が欲しかったものはなんだったんだろうか
恐怖の正体はなんだったんだろうか
わからないが


誰もいない部屋で
「どうしたらいい、」
と祖母に言わせずに 共にいることができて
それだけは良かったと思ってる。


おそれも悲しみもない穏やかな世界に 祖母は居るんだと思う
いつか祖母宅からも
祖母の居た痕跡がそのうちなくなるんだと思う
親世代が居なくなってわたしもいなくなって だれも祖母のことを知らない そうなっても この地があればいい 確かに私も祖母も皆居た 誰が覚えてなくてもそう



……………なんてことを考えながら鬱々としていたのである。


後悔なく人を見送るなんて難しいよ
送ったならそれが正解なんだと思う
すくなくとも 私は私なりに祖母のことを大事に思ってたよ。


共に居た
ちかくにいた
ご飯を食べた

きっと全部伝わってると思う
そう思って生きていく気力が

低下してますが、少し湧いてきたので
ゆっくり生きようと思います

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