「好き」はもっと単純な感動であるはずだ

連日の雨にだいぶうんざりしてきました。
それでも、この雨が終われば大好きな春が来るんだと思うと少しだけ気分も前向きになるような。それはそれとして、雨が上がった後の花粉も怖いところですが。そんな訳で11日目です。

元々私はPMSの診断を受けているので、かなり周期的に気分がすぐれないことが多い性質なのですが、どうも今月はかなり不順なようです。ここ2年くらい月経不順もずっと続いていて、今月はPMSらしき症状が比較的重めに見られてから約2週間。生理痛もひどいので周期予測を立ててバイトも休みを入れていたのですが、それも残念ながら外してしまいました。

それ以外にも家のことで色々と重なり、過剰にイライラして収まらなかったので、朝から数時間ひとりカラオケで発散。
誰の目も気にせず好きな選曲ではしゃぐの楽しー!限界時のお決まりストレス発散法です。

帰宅してからは、これまた思い付きでなんとなくピアノを数年ぶりに弾きました。
我が家には私が小学校の時に習っていた電子ピアノが眠ったままで、楽器を触る(メインはギターですが)弟たちにたまに触れられるばっかりになっていたもの。

久しぶりだし取り敢えず入門編!と思ったのですが、昔簡単にスラスラ弾けた難易度のものも、今や全く弾けずじまい。それどころか楽譜を見ながら「あれ?ドってどこだっけ?」なんて言っていたので全然ダメダメです。く、悔しい……。

今日は土砂降りだったので、室内でできることを。
意識していた訳ではないのですが、こうして書き出してみると音楽に触れていた1日ですね。元々音楽で意気投合した両親の影響もあって、小さい頃から慣れ親しんでいる音楽は、やっぱり大好きです。

弟のように何か楽器をやっていたり仕事にしていたり、いちリスナーとしてもそこまで明るい訳ではないのですが、やっぱり聞くと元気をもらえますし、奏でると楽しいですし、泣きたい時も、笑いたい時も、いつも身近には音楽がいるような気がします。そんなの誰でもそうだよ!ってね。

なんだか、昨今の「推し活」ブーム然り、何かを好きでいるのにすら知識や資格、ましてや好きである事に、暗黙の最低基準があるような雰囲気があって、生きづらいなあ、と思います。

本来、誰かの作品に対して「好き」だと感じることは悪いことではなくてむしろいい事なのに、それを言いづらい雰囲気は、とても窮屈です。
人前では波風立てないように無難なものを「好き」と言ってしまう私は、時々何が本当に好きだったのか分からなくなってしまう時があります。

だからこそ、せめて文章の中だけでも、このnoteだけでも、好きなものは好きって言えるようになりたい。

多分そんな目新しいものはないけれど、いつかお気に入りの曲を公開するだけの記事とかも書いてみたいなあ。
最近はサブスクなんかでお手軽に振り返ることもできますが、こんな記事を書いていたときは何を聞いていたか、っていうのも、後から見返したら何か面白いものがあるかもしれません。

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