【ショート】クラスメイト
「絶対誰にも言わないでね」
そう言った声のトーンも、表情も、まるでテレビを見ているように思い出せる。私の薄情な相槌にも気づかないで、熱心に語る頬がチークを叩いたように鮮やかに染まっていくのも。徐々に頼りないボリュームになっていく小鳥のような声も。
放課後、教室に残っていたのは私と唯ちゃんだけだった。委員会で使うポスターの下書きをしていた唯ちゃんに声を掛けたら、一緒にお喋りしない?と誘われた。
唯ちゃんの席は窓側だから、遠くから迫ってくる夕日がよく見えた。唯ちゃんの前の席に腰を下ろし、向き合うように椅子を振り向かせる。
「ねえ、朱美ちゃん。好きな人いる?」
唐突に振られた話題に衝撃を受け、目を見開き彼女を見ると、画用紙の上に滑らせていたシャーペンを止めて必死に私を見つめていた。
「どうしたの、急に」
「ううん、聞いてみたかっただけ。困っちゃうよね」
唯ちゃんは眉を下げて笑った。私はすぐにぴんときた。
「唯ちゃん好きな人がいるの?」
今度は唯ちゃんが元々大きな瞳を更に大きくした。みるみる顔中の血色がよくなった。机の下に隠れた足が動いて上履きが擦れる音がする。
「好きな人っていうか…気になる人がいるの」
絞り出すように言って、下を向く。どんな表情をしているのか気になって、垂れた髪の隙間から顔を覗き込んだ。
「このクラスの人?」
そっと囁くように尋ねると、小さく「うん」と答えた。
「誰?…言いたくなかったらいいから」
私はシャーペンを握っていない方の手に、自分の手を重ねた。握りこんでいる指を開かせるように撫でると、唯ちゃんが顔を上げた。両目が潤んでつやつやと光っている。すると今度は下にあった唯ちゃんの手が、私の手を強く握った。
「絶対誰にも言わないでね。…翔梧くんがね、気になるの。まだ好きじゃないよ!」
まだ好きじゃない、ということはこれから好きになるってことなのね。私は吹きだしてしまった。「もうひどいー!」と額に汗をかきながら唯ちゃんが叫ぶ。
「ごめんね、違うの。唯ちゃんがあまりに可愛かったから」
「ええっ、どういうことお?」
困った顔をする唯ちゃんの手を掴んで持ち上げ、指を絡める。軽く握ると指の間の皮膚が触れ合った。
「告白しても大丈夫だと思うよ」
うん、きっと付き合えるよ、と加えて唯ちゃんの瞳を真正面から見つめた。つないだ手のひらが熱かった。
「そうかな」
唯ちゃんの指に力が入った。
「朱美ちゃん、また相談してもいい?」
縋るような目で言われて、私は「うん」とだけ答えた。手のひらの体温が当たり前のように離れていく。彼女は無邪気な笑顔を浮かべ、「ありがと」と言ったっきりこの話は終わった。
その後は、文化祭の役決めがどうとか、担任教師の話し方がどうとか、そんな取り留めのないお喋りをして解散した。
私は銀杏並木を歩きながら彼女の手の感触を思い出す。私よりも高い体温、柔らかい皮膚、手のひらの皺。カーディガンの袖の下に隠した右手が、歩く度心許なく揺れる。
ふと見上げた赤い空に向かい、一匹のすずめが羽ばたいていった。
逞しく進んでいく姿を、私は口を噤んで見送ることしかできなかった。
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