反省することすら許さない世界

これは、Aという世界での出来事です。

道で転んだ青年がいました。青年はよそ見をして歩いていて、石につまずいたようでした。通りがかったとある男性は、彼に手を差し伸べました。

「大丈夫ですか」
「ありがとうございます」

「よそ見して歩いてたら危ないですよ。他の人にもぶつかりますし」男性は、優しく注意しました。青年は「すみません。気を付けます」と謝りました。この経験から、青年はよそ見をして歩くことの危険性を学び、二度とよそ見をして歩かなくなりました。


これは、Bという世界での出来事です。

道で転んだ青年がいました。青年はよそ見をして歩いていて、石につまずいたようでした。通りがかったとある男性は、彼に指を差して笑いました。

「ざまぁwww何すっ転んでんだよだっせえwwww」
「・・・・・・」

「よそ見しながら歩いてんじゃねーよ、この低能。マジ死ねよ」いつの間にか、男性の周りに同じような人たちが集まり、その青年に罵声を浴びせながら、全員で袋叩きにしました。青年はそのまま起き上がることなく、二度と歩くことはありませんでした。

AとB、皆さんはどちらの世界にいたいですか。

躓いた人を笑いながら袋叩きにする世界

反省することすら許さない世界なら、そんな世界に私はいたくないです。

誰だって失敗するでしょう。人間なんだから。

私はまだまだ自分が人間として未熟だと思っているので、失敗した人に対して、「お前はここがダメだ」とか、偉そうに指摘する気持ちにはなれません。思うとしたら、「私も同じ部分があるな、気を付けないとな」とか「反省して、これを糧として、また頑張ってほしいな」くらいです。

とはいえ。とはいえよ。分別のある範囲での指摘や注意は、むしろ良いことだと思います。例えば、差別に関わること。命の尊厳に関わること。言ってはいけないことは、言ってはいけない。迷惑行為。犯罪行為。やってはいけないことは、やはりやってはいけない。

これらに対して、「それはダメです」「やめてください」と指摘することや注意することは、とても良いことだと思います。そうすることが当人のため、延いては社会全体のためになるからです。

でも、それで十分じゃないですか。さらにその人に攻撃を加える意味ってありますか。私には、つまずいた人を全員で袋叩きにして、そのまま二度と立ち上がれないようにしてやろうとしている世界に見えます。謝罪して、悔い改めて、やり直そうとすることすら許されないなら、我々はどうやって生きていくんですか。


せめて自分の周りの世界だけは

大門未知子だって、これまできっとたくさんの失敗をしているから、あの大門未知子がある。生まれてから一度も失敗したことない人なんていないでしょう。失敗を真摯に反省して、それを経験や糧にして、人間として成長できるよう努力する。そのチャンスすら与えられない世界。何一つやり直せない世界。二度と立ち直れない世界。そんな世界に、いる意味はありますか。

反省することすら許さない世界なら、そんな世界に私はいたくないです。

だから私は、失敗して真摯に反省する人は、励まして応援していきます。自分がどれだけマイノリティになっても。少なくとも私の周りの世界は、絶対にBにしない。

最後に、あの長嶋茂雄さんの名言を書いて、このエッセイを〆たいと思います。

「失敗は成功のマザー」




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