アカウントのことは「アカウント」と

 ここ数日、X(元Twitter)界隈で、「翻訳アカウント」という語を見た。
「翻訳アカウント」とは、「翻訳に関係したことをポストするアカウント」を指すらしい。差し詰めわたしなら「翻訳校閲アカウント」と言われるのだろう。
 まぁ、それは今日の話題ではない。わたしが今言いたいのは、「アカウント」を略して「垢」と書くのはやめようということ。
 わたしがいつも最初に引く国語辞典、『小学館日本語新辞典』で「垢」を見てみよう。

1.汗・脂など、皮膚からの分泌物と、ほこりやごみなどがまじったよごれ。皮膚の表面に付いたり、はがれて落ちたり、着物などに付着しているものをいう。
2.水中の不純物が底や容器にかたまり付いたもの。
3.比喩的に、道徳的、精神的な面で純粋でないもの。

小学館日本語新辞典より

 物理的にも、比喩的にも「よごれ」「純粋でないもの」を指す語ですね。
 それなのに、自分の代名詞、いわばアイデンティティとして使う「アカウント」の略語として使っている人たちがいる。それも「言葉」を職業とするプロが。
 有名なライターにもそう書く人がいることは知っていたが、今回の騒動で、翻訳者にも一定数いることがわかった。
 「アカウント」のことは「アカウント」と書けばよい。なぜわざわざ、「よごれ」「純粋でない」ものを指す語を使って略す必要があるのか。
 自分のアイデンティティに汚い言葉を使う感性の人とは、同じチームで言葉の仕事をしたくない。
 なぜ、わざわざこういう語を使うのだろうか。字数制限があるから? そういう人に限って140字を大幅に下回る字数の投稿であったりするけれど。
 いや、そうではないのだ。たぶんこの語がご自身の「アウトプット語彙」に入ってしまったのだろう。
 SNS、とくにXは有益な情報を得る場でもあるが、相当注意していても「自分の脳内に入れたくない言葉、入れたくない情報」が入ってきてしまう場でもある。
 初めて見たときに違和感を覚え、「この語は自分の『アウトプット語彙』には入れないようにしよう」と決意し、ブロックして跳ね返すように投稿を見ていないと、卑語、俗語、汚い言葉を使っても平気という神経ができあがってしまう。
 そういう語に目くじらを立てたり、拒否する方が時代遅れなのかもしれない。ほんとうに、あまりにも多くの「書く商売」の人が使っているから。
 それでもわたしは、自らが汚いことば、嫌なことばと思う漢字、語句、言葉を使わない。これからもそれでやっていくつもりだ。

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