新宿御苑から徒歩圏内の会社に勤めていた。業界は衰退しつつあったし、会社の業績は芳しくない。給与は減らされる一方だった。
 仕事面でも、1日PCに向かっていればいいだけではなく、人とコミュニケーションをとる業務も求められていた。コミュ障の自分にはつらかった。今後ずうっと、こうやって毎日過ごすという未来が見えてこなかった。単に、毎日惰性で「行かなければお金を稼げないから」会社に行っていた。
 いつしか、昼休みにオフィスを出て新宿御苑に入り、ふらふらと彷徨い歩くのが日課となっていた。
 そんなある日、あるメタセコイヤの前にいた。幹に抱きついてみると、気分が落ち着く。ためしに、根元近くに座ってみた。いい感じ。
 翌日はピクニック用のシートを持って出勤し、昼休みにまっすぐ御苑に行くと、昨日と同じ場所にメタセコイヤがあった。ああ、今日もここにいてくれた。
 木陰にシートを敷いて寝転がり、上を見上げた。葉っぱの隙間から太陽と青空だけが見える。
 そうしていると、何も考えず「からっぽ」になることができた。
 くる日もくる日もそうやって昼休みを過ごしていた。
 その木を「お母さんの木」と呼ぶことにした。
 毎日、昼休みに「お母さんの木」にいろんな話をしては、横になって空を見上げる。
 何か月もそんな日が続いた。
 そんなある日、健康診断により異常が発見され、簡単な手術を受けた。入院は2泊3日にすぎなかったけれど、そこから不定愁訴が続いた。電車の中で立っていられなくなり、数駅先の駅で始発を待って乗車することになった。昼休みには毎日、会社の保健室で横になっていた。そうしていてもふらついてしまうことが多かった。
 病院診察を受けても「手術で麻酔を受けたので、その副作用が続いているのかも。だんだんよくなるはず」と言われるだけだった。
 だが1か月過ぎても状況は変わらず、わたしは16年間勤めた会社を辞する破目になった。
 それから9年過ぎた昨年、秋バラの季節に御苑へと足を向けた。
 御苑のバラ園は「お母さんの木」とは異なる方向にある。
 よく香り、色も深い秋バラたちは華麗な姿を見せてくれたし、ボランティアガイドの話も興味深かった。
 バラ園を堪能した後、「お母さんの木」があった方向へ歩いてみた。昔のように靴と靴下を脱いで、裸足で芝生の上を歩いて探した。
 けれど、たしかにこの場所だったはずと記憶にあった場所にある木は、どこからどう見ても「お母さんの木」ではなかった。
 何度そのあたりを歩き回っても、もう「お母さんの木」はなかった。


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