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永江朗『インタビュー術!』から得た知見

校正・校閲者へのインタビュー集が読みたい

 校正者・校閲者にインタビューをして、その原稿をまとめたものが出版されないかなぁとずっと思っている。ほかの人はいったいどのようにこの仕事と向き合っているのだろう。斜陽産業と言われる出版界にいて、AIの台頭もあり、不安でないわけはない。どんな気持ちで日々過ごしているのか。
 また、校正・校閲という仕事や、こういう仕事をしている人たちのことをもっと世の中に知ってほしいという思いもある。
 いっそ自分でそれをやってみようかと思い始めた。わたしのインタビューに応じてくれる人がいるかどうかわからないが、準備をしておくだけなら、誰にも迷惑をかけることはないだろう。
 というわけで本書を読み直してみた。ここから得られた学びを書いておこう。

仮に専門家が分かりやすく話すことが可能だとしても、その話を引き出すためには、インタビュアーにはそれ相応の勉強と準備が必要なのだ。インタビュー記事は、インタビュアーの能力以上のものにはならない。

本書31ページより

 こういう核心の話が本の最初の方にあるのはありがたい。インタビューで「難しいことをわかりやすく」書くためには、そのための準備が要る。
 幸い、わたしがインタビューしようとしている人たちは同業者である。業界に入って日は浅いが、インタビューで出てくる話にはついていけるだろう。

「なぜ」校正・校閲者になったのか

 核となる質問がある。私の場合は「なに」と「なぜ」だ。その小説はその作家にとって何なのか、音楽家にとって歌うことは何なのか。「それは何か」という問い。そして、「なぜ書いたのか」「なぜ歌うのか」。

本書58ページより

 テレビドラマ『校閲ガール』が放映されてから、世の中に校正・校閲という仕事があることは知られてきた。校正・校閲者を目指す人も多くなってきた。
 だが、「なぜ」そうなりたいと思うのだろうか。いま校正・校閲の仕事をしている人たちは「なぜ」この道にたどり着いたのか。わたしのように「なんとなくたどり着いた」という人もいるだろうが、エディタースクールに通うなどして、「校正者になろう!」と必死で勉強してきた人もいるだろう。どちらの話も聞いてみたい。

インタビュー本は「インタビュアー」の本

 以前から考えていたのだが、ゴーストライター(ブックライター)が書いた本とインタビュー本はどう違うのだろうか。これについても本書に答えがあった。

ゴーストライター本は、あくまで名義上の著者の本である。そこで描かれる世界は、名義上の著者が見た世界であり、(中略)。ゴーストライターは名義上の著者になりきって書く。(中略) 主導権を握っているのは名義上の著者なのだ。
 ところがインタビュー本は、それがいかに話し手を強く反映したものであっても、やはりインタビュアーの本である。インタビュアーの問題意識によって文章は組み立てられ、インタビュアーが解釈した話し手の言葉が述べられる。

本書103ページより

 そうか、インタビュー原稿というのはインタビュアーの言葉で書く本なのか。心しておかねばならない。いくらインタビュイー(話し手)のチェックを受けるとはいっても、原稿は書き手のものなのだ。これは難しい。

「誰のための」「なんのための」インタビューなのか

 インタビュアー、 あるいは書き手の立場をはっきりさせておく。

  批評性を持て、などと大げさなことは言わないけれども、「 このインタビューは誰のため」「この原稿は何のため」 という意識は忘れないようにしたい。

本書126、127ページより

 うーん、「なんのため」のインタビューかといえば、まず自分が「いろんな校正・校閲者の話を聞いてみたい・読んでみたい」というのがある。そして、「出版界、ひいては世の中にさまざまな校正・校閲者のことを知ってほしい」から。これは自分のなかではっきりしているが「誰のため」かというと考え込んでしまう。
 インタビュイー(話し手)の宣伝のためではない。でも、その実態を知ってほしい。どんな人が校正・校閲という仕事をしているのかを世の中に知ってほしい。現在の思いは、まだこれだけだ。

書くときに気をつけたいこと

 まず気をつけねばならないのは「真実は語尾に宿る」ことだと著者は言う。

  語尾というのは、語る人、インタビュイーの癖とか生理、 呼吸みたいなものである。 インタビューの途中で、 その語尾が少しずつ変化していく。

本書134ページ

 語尾には話し手の感情が出る。たとえば、途中から「ね」が頻出したとしよう。それをそのまま原稿に反映したのでは読みづらい。そんなときどうするか。「ね」を頻出させるのではないやり方で、インタビュイーの感情の変化を原稿に反映させる方法を探して書く。すぐには無理だろうが、これは覚えておこう。
 そして、もうひとつ覚えておかねばならないのが「(笑)」の扱いだ。

  私の場合は、「(笑)」を できるだけ使わないようにしている。理由は、まず見た目が格好悪いから。 次に、「 (笑)」さえ入れれば、あたりがやわらかくなる、 とつい思ってしまい、ちゃんと 文章を考えなくなってしまうおそれがあるから。

本書139ページより

 まったくそのとおり。だが、実際に「(笑)」を使わずに原稿を書くのは難しい。
 「?」「!」も同様で、実際に文字になったときに「!」「?」が頻出するのは美しくない。けれどもそれらを使わずに書くのは難しい。そういうところをどう処理するかも書き手の力量が問われるのだろう。ますます難しくなってきた。

実際にインタビュー原稿を書きたい

 さて、この本でインタビュアーとしての下地はわかった。あとは実践したいのだが、問題はわたしにインタビューされてもよい、それがnoteに発表されてもよいという人を探すことにある。
 校正・校閲者は内向型の人が多い。インタビューされるのは嫌だという人ばかりかもしれない。
 それでも、これは自分としてぜひやってみたいプロジェクトなのである。社会の中でも、出版界の中でも地味な存在である校正・校閲者の姿を世の中に届けていきたい。
 だから、追い追い、いろんな人に声をかけていくつもり。もちろん匿名(SNS名を考えているが、それもNGという場合はここだけの仮名でかまいません)で登場していただくので、伏してお願いしたい。

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