菊池亮太リサイタルat紀尾井ホール

 開演ベルが鳴る。双眼鏡を覗き、ピアノの横にあるSteinway & Sonsの文字がくっきり見えることを確かめる。もう十何回目か。
 ピアノ椅子にはシルバーに輝く布が張ってある。Steinwayの純正品らしい。これもさっきから何度見つめたか。
 ……下手の扉が音もなく開くと、拍手の中、黒カーディガンをなびかせた演奏者がさっと歩いてきて椅子に座る。
 固唾を飲んで見守るとはまさにこれか。針が落ちたら聞こえそうだ。いや、息をするのもいけないかと思える静寂が何十秒間か続き「もう深呼吸しないとだめ」と思った瞬間。
 b(シのフラット)の後すぐにg(ゲー)の音が、静かに響いてきた。あっ、何十年も昔、どうしても弾きたくてお小遣いで全音のピアノピース(楽譜)を買った曲だ。なんとか譜面は負えても、どうしても「弾けるようになった」実感が持てなかった曲。
 2014年、フィギュアスケートの浅田真央選手がソチ五輪のショートプログラムで使ったりして、クラシックを知らなくても大体の日本人はこの曲に馴染みがあるというショパンの「夜想曲(ノクターン)」Op.9-2である。
 わたしにとって特別な曲、ノクターンから始まったリサイタルは演奏者自身が作曲した「ピアノトラベラーズ」へ、そしてバッハからパガニーニへ移行した。
 菊池亮太の名前を聞いたことがあれば「あー、パガニーニ(の主題による)変奏曲の人」と反応するであろう曲。わたしも最初はそうだった。
 YouTubeで何十回と聴いてきた曲が、パソコンのスピーカーもスマホも通さず、いま自分の耳から直接入ってくる。なんだか不思議だ。
 演奏者の十八番は、リサイタルに来た初めてファンにとってとても大事な意味を持つ。それをわかっていて、ちゃんと入れてくれているのがありがたい。
 次はラフマニノフメドレー。大好きな「音の絵」Op.33-9が嬉しい。そして、これまで(旋律が甘すぎて)あまり好きではなかった「ヴォカリーズ」、これまたあまり好きでなかった前奏曲 Op.3-2「鐘」も、ここでこの人が弾き、それを直接聴いているといままで知らなかった曲のように新鮮だった。
 ドビュッシーからリクエストコーナーを経て前半は終了した。
 後半は、チャイコフスキー「白鳥の湖 第2幕《情景》」。何度もYouTubeライブで聴いてきた「いつものレパートリー」曲である。リアルで聴くのはもちろん初めてだ。
 「ピアノは1台でオーケストラ」の意味をはじめて知った。低音からはコントラバス、高音からはフルートとクラリネット、ヴァイオリンが、中音域の重厚な和音とともに聴こえてくる。この感覚は、最後のガーシュウィン「ラプソディ・イン・ブルー」でも同じだった。「ピアノ1台でオーケストラ」は、まさに菊池亮太のためにあることばであった。
 「白鳥」つながりということで、次はサン=サーンス作曲、松田怜編曲「動物の謝肉祭より《白鳥》」。MCのとおり「聞いている分にはまったくそうは聴こえないのに、実は難曲」。メロディーを歌いながらアルペジオを響かせ、ベースを鳴らす。それを10本の指で弾き分けるというのは、誰にでもできる技法と表現ではないだろう。
 ファンがXに投稿していたなかで、「素晴らしかった」が多かったドビュッシー「沈める寺」や「花火」。わたしも大好きな曲だ。大好きな曲を大好きなピアニストで、生演奏で聴ける嬉しさを味わえた。
 そして、菊池亮太リサイタルといえば、アンコールのポール・マッカートニー「ヘイ・ジュード」大合唱。これにはじめて加わることができて、嬉しいというよりなぜか安心した。
 自分へのクリスマスプレゼントは十分に受け取った。ここから年末に、そして来年に向かって断捨離とPC移行(Win11購入からデータ移行)をがんばろう。

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