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 長いあいだ遠ざかっていたのに、突然昔の夢を見た。
 昨日、写真を数十枚見つけたからだろう。ほとんどが小学生低学年までのもの。家族写真も、ひとりのものもある。
 ひとりであっても家族写真であっても、自分はかなりきつい目つきでこちらを睨んでいる。幼児らしく笑っている写真は2~3枚しかない。
 そうだ、自分はこういう「家庭」に育ったんだよなぁ……。本は買ってもらえた。ピアノも習わせてもらえた。音大に行きたかったが途中でやめさせられ(お金がかかりすぎるとわかったのだろう)、浪人もだめ、地方の大学を受けることも許されなかった。
 それ以前に、中学校の部活で文字通りみんながおそろいで着ているadidasのウィンドブレーカーは買ってもらえなかった。スポーツバッグもどこかの特売で母親が買ってきたノンブランドのもの。ロゴを隠すように毎日持っていった。高校の制服はどこかから調達したお下がりで、フレアスカートの生地がてかてか光っていた。
 ものすごく貧しかったわけではない。父親に「子ども(とくに女の子)にお金を使う」という価値観がまったくなかった。平たくいうと「金を使っていいのは稼いでくる自分だけ」だった。
 干渉も激しく、小学生時代はみんなと夕方まで遊ぶこともできなかった。高校時代の門限は6時。部活が終わってコンビニに寄り道ひとつできなかった。大学生になっても門限から解放されなかった。友達と電話していたら、いきなり切られたりした。
 いまなら「過干渉でドケチの毒親」だろうが、当時はそんな言葉はなかった。口答えを許されないまま「早くこの家を出ていくんだ」と耐えた。
 就職して家を出たときは、やっと束縛から逃れられると人生最大の嬉しさをかみしめた。
 もちろん、それからも紆余曲折いろいろあったが、すべて「自分で決めて」やってきたので後悔はない。
 それでも、子ども時代の自分の写真を見ると、目がつりあがっていて「誰も信じない」という顔だ。自分で見ても「かわいそうな子」だと思う。
 ……というわけで、父が亡くなったときもなんの気持ちも湧いてこなかった。おそらくあと数年であの世に行く母についても、そのとき、同じように感じるのだろうな。

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