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「光る」習慣~洋食屋でひとりランチ

 荒川洋治に「クリームドーナツ」という短編エッセイがある。著者は調子がいいときも、悪いときも、K駅わきにあるコーヒーとパンの店に通ってクリームドーナツを求め、その場で食べるという習慣を持っている。それだけの話だが、ずっと心に残っている。

五〇歳を過ぎた。するべきことはした。あとはできることをしたい。それも、またぼくはこうするなと、あらかじめわかるものがいい。こんなふうな習慣がひとつあって、光っていれば、急に変なものがやってこない感じがするのだ。

同短編より

 いいなぁ、こういう習慣。わたしも「光る」習慣をひとつもっていたい。ずぅっとそう思っていたが、ついにできた。
 隣駅に「洋食屋 アターブル」というレストランがある。ここのランチに週に一回通う。曜日はその週によって異なるが、行くのは平日のみだ。なぜって、平日限定、ほぼ週替りで一日10食限定の「アターブルランチ」を食べたいから。
 このために、開店時刻の11:30より3~4分ばかり前に着き、店の前のベンチに座って待つ。
 時間ちょうどにオーナーシェフの奥さんがドアを開けて「こんにちは、いつもありがとうございます」と中に通してくれる。
 カウンターの一番奥、いつもの席に座る。 ジャズっぽいBGMが控えめに流れるなか、「アターブルランチをパンで」と注文。
 「かしこまりました」「アターブル、ワンです」とシェフに伝える声も、いつも同じ高さと音量だ。まさに、わたしが求める「習慣」にぴったり。
 人気店なので次々にお客さんが入ってくる。それを眺めつつ、厨房で料理が作られていくさまを耳と目と鼻で感じる。この時間がいちばん好き。注意すべきは、決して本を読んだりスマホを見たりしないということ。ここの「レストランで料理ができあがっていく過程」を味わいにきているのだから。
 包丁やフライパン、鍋の音、ソースの香りがだんだん強くなるにつれて、わたしがいつもオーダーするメニューである「アターブルランチ」ができあがっていく。
 ついに運ばれてきた。サラダとパンは毎週同じ。スープはここ数か月のあいだ冷たいヴィシソワーズだったのが、2週間前から温かいさつま芋のスープに変わった。そしてメインディッシュだ。鶏もも肉の煮込みにマッシュルームソースがかかっている。店内のミニ黒板に「鶏もも肉のシャスール風」とある。シャスールは「漁師」ということで、きのこなどを使ったソースをいうらしい。始めて聞くメニュー名だ。
 ナイフとフォークで一切れずつ切り分けて口に入れる。うん、今週もここに来られた。幸福というよりも安心感で身体も脳内も満たされる。
 ほかのレストランにひとりで入ることはない。わたしにとって、アターブルは唯一の「ひとり外食」なのだ。
 今日もここに来られた。だいじょうぶ、この習慣は今週も光っている。きっと、急に悪いものは来ない気がする。

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