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優しさと嫌悪が渦巻くこの世界で。

皆さんどうもウッディです。

今回は僕がずっと生きてきて
障害者だからこそ感じる社会の中の空気を話していきたいと思います。

時に読んでいて不快になる部分もあるかもしれませんがご了承ください。

では書いていきます。

生き辛さの根源

多様性やバリアフリーがかなり浸透してきた今の社会ではかなり減ったきたものの

僕が子供の頃にはまだ偏見や疎外感が強い時代でした。

田舎は特にそう。
暮らしてる人口が少ない分車椅子や見た目の違う障害者を見る機会も少ない。

あまり身近じゃないものに人は拒絶感が出たり恐怖、戸惑いが出てしまう。

そしてその空気感を身に感じる。

そんな積み重ねが「生き辛さ」になるのではないかと思います。

刺さる視線の痛さ

例えば、生活をしている中で車から降りたりする時、私達は人より時間がかかります。

車椅子の乗り降りや車から物を準備する時間、結構かかります。

その間自分も介助者のことを外で待ってるとそこを通りかかった人から様々な目を浴びる事がある。

最近は減りましたが昔は好奇の目や指を指されこそこそこっちを見ながら何かを話される事もあった。

ずっとそんなもんだよなあと思ってたけど
時代が変わってそうじゃないんだとようやく気づいた。そのくらい人の目は日常的でした。

それに加えて公共の施設に行くと(デパートや駅、お店などなど)邪魔な顔されたり面倒向かって「邪魔、どけや」と言われる事もありました。

エレベーターに乗る時も車椅子は場所を取るので人が多いと乗れない。待つだけで二、三回乗れない事もしばしば…

乗ったら乗ったで嫌な顔をされる。

今はまずないけど飲食店や様々なお店でも入って欲しくなさそうにされる事もありました。

正直そんな事が多いと外に出たり遠出をするのはしんどくなったりします。

自分に何か嫌な顔や感情、言葉を吐かれるのはまだ我慢できる。

でも周りの人や家族が自分の事で揉めたり怒ったりするとこを見るのは本当に辛い。

何回も言いますが今の時代はかなり変わった。
でも今もゼロではないのもまた事実。

そんな物理的とはまた違った日々の段差や壁みたいな物に生き辛さを感じる。

悪いことばかりじゃない

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