線
図書館で2週間ごとに大量の本を借りてくる。大きくて子供向けの書籍が充実している図書館が近くにあるのは、ありがたい。
本好きの長男は0歳から5歳になり、累計かなりの量の書籍を読んでいる。いまは図鑑や科学、物事についての事実が説明されているものを好む。動物の詳細がイラストでわかりやすく説明されているものがあり、そこには人間との関わりの深い犬猫や鳥豚牛などについても描かれていた。最初にふたりでひととおり読み進め、二巡め、長男は牛のページを飛ばした。わたしも、飛ばしたかったと思ってた。ふたりで飛ばす。
乳牛は子牛を産むとすぐに人間に子を取られる。そして子に与えるはずだったミルクを人間に搾取される。イラストの牛の目にはひとつぶの涙が描かれていた。そんなもので表現できるはずのない状況。
子を産んで完璧な自然の循環システムを体験した。自然は、驚くほど完璧だった。
完璧な生物界のシステムを、他者が妨げることは許されるのか。牛や豚や山羊や羊、鶏たちと人間は共存してきた、はずだよね…。でもほんとに「共存」しているのかな。正直なところ、自分の中の自然と人間との境界線、不可侵線がどこであるか、どこであるべきかということについて、線引きは曖昧だ。どんどん世の中のモラルは更新されていくみたい。「牛乳は身体に良い」「カルシウムである摂取せよ」と、小学校の給食では瓶のミルクを飲み干してきた。それは真実だったのだろうか。スーパーで売られる大量の牛乳パックが、不自然に見えてくる。
アカデミー賞を受賞したホアキンフェニックス氏のスピーチを聞いてこのトピックが再び心に湧いた。自然界の犠牲について。やはり自分の中で境界線がどこにあるのかきちんと認識しておかないとな。子供が何かに対して「あれ?それはおかしいよね?」と思うのは、きっとちいさな家族の会話の積み重ね。未来はきっとそんな各家庭での毎日の積み重ねでできていくのだろう。
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