フレンチトースト

朝起きると彼が朝食を作っていた。美味しそうな匂いに私は幸せを感じる。メニューはなんだろうか野菜をシャキシャキ切る音に、何かをジューっと焼いている音。甘い匂いが鼻をくすぐり、寝起きの胃袋が高揚している。フレンチトーストだろうか…。

彼の名前は紅樹(こうき)34歳。とある高級レストランでシェフとして働いている。彼は異常なほどに仕事をする。朝は7時には家をでて8時から仕事。帰ってくるのはいつも21時以降だ。こんな話を友人にすると「風俗でも行ってるんじゃない?」と冗談混じりに言う。そんなことはないはずだ…。

私は彼の働くレストランでアルバイトをしていた。(彼と付き合ったのをきっかけに辞め、現在は本屋でアルバイトをしている)そこで働く彼は、強面な表情とは裏腹にとても思いやりのある温かな性格だった。どんなに忙しくても冷静で、どんな相手にも敬語で話す謙虚な人物だった。惹かれた。だから私もシフトを今までより多く入れ、朝から夜までできる限り働いた。彼の休みは大抵毎週月曜日と木曜日。出勤日は朝早くから夜遅くまで働いている。街場のレストランだから長時間労働も仕方がないとそこの社員は言っていた。

それから、私からの猛烈なアプローチを受けた彼と、今こうやって一緒に暮らしている。

なぜ私がこんなに彼に惹かれているのか分からなかった。顔は濃いめで普通顔。34歳にしては締まりのある体をしている。タバコは辞められないみたい。何事も丁寧な性格で男気がある。笑顔をなかなか見せないため、笑顔を見ると私まで笑顔が溢れてしまう。何を考えているのか分からないという部分はあるが、人間だから分からないことがあって当然だ。そうだ、至って普通なのだ。

私との歳の差は10歳。10歳も歳が離れると若者カップルのようにいつもベタベタはしない、穏やかな雰囲気で過ごす。友人には「つまんなくない?」とよく言われた。確かに、旅行に行ったり、ディズニーに行ったり、おしゃれなカフェで食事をしたり、憧れはあったが、そんなのはどうでもよく、とにかく彼のそばに居たいと思った。ぼんやりとしてはっきりとした理由は分からないが、とにかく彼が良かったのだ。

付き合いはじめて、彼の労働時間がかなり伸びた。もともと彼との時間は少なかったが、ますます減った。私は、彼と休日を合わせてちょっとでもデートをしたいと思っていたが、彼が起床するのは必ず正午を回っていた。下手すると夕方まで寝ている時すらあった。起きても気だるそうにしている彼を見ると、デートに誘う気にもなれなかった。付き合ってもうすぐ1年だが、デートや旅行をまともにしたことは無かった。 

古くからの友人、七海にそんな話をあれこれすると「別れなよ〜」とか「それ結婚とかなったら碌でもない旦那になるよ…」などと言った。七海は私と真逆で毎週彼氏とデートや旅行を楽しんでいる。当然の反応だと思ったが、やはり私は彼が良かった。彼と一緒にいる時の空気は穏やかという言葉がぴったりだった。一緒に漫画を読んだり、DVDを見たり、散歩をしたり。互いが互いの時間を大切にした。縛ることも一切無かった。何気なく過ごす時間が心地よく、ここまで心が落ち着くことは今まで無かった。

「おはよう」紅樹が言った。

「おはよう、今日は休みなのに早いね…」

「うん、まぁね…」とだけ言って、朝食を作っている。

私は洗面台で顔を洗って軽く寝癖を整え、太陽光を浴びようと窓を開けた。が、あいにくの雨模様だった。「せっかくの休日なのに…」と私はガッカリした。私は自分で淹れたコーヒーを飲みながら読書をした。自分で言うのもあれだが、私の淹れるコーヒーは美味しい。深みと酸味のバランスが程よく、街に出かけてコーヒーを飲むより私の淹れるコーヒーの方が断然良かった。紅樹も私のコーヒーを美味しいと言って飲んでくれた。

しばらくして紅樹が朝食を運んできた。

「うわ〜!」と思わず声を上げてしまう。

みずみずしいレタスにカリカリのベーコンが刻んで振りかけてある。真っ赤なトマトと黄色いパプリカがサラダを彩っている。シーザーサラダだ。

私の好きなカボチャのポタージュは彼の手作り。舌触りが滑らかで優しい甘さとコクがある。

そしてメインは予想通りフレンチトーストだった。彼のフレンチトーストはふっくらと柔らかく、甘さ加減もちょうど良いのだ。

私は彼の作るフレンチトーストが大好きだ。シェフだから作るのが上手なのもあるが、彼の料理には彼の性格同様の温かさが溢れている。料理を作る下準備から丁寧に食材を扱う姿、彼の手によって姿を変える食材たちはなんとも嬉しそうに思えた。

私はデートや旅行はできなかったが、このようなささやかな時間が本当に大好きだった。家にいて、美味しいコーヒーを飲んで、本を読んで、紅樹とおしゃべりをして、美味しいご飯を食べて。それだけで心が満たされた。そんなささやかな時間を共有できることに喜びを感じていた。

「いつもながら、美味しいです。朝から幸せ〜!」

「そう、良かった。喜んでくれて。」

ゆっくりと味わっていると彼がふと言った。

「雨って、良いよね。」

突然彼がそのようなことを言い出すので私は驚いた。

「突然どうしたの」

「俺、雨が好きなんだよね。雨音って安心するじゃん。夜眠る時に雨音聞くとよく眠れるんだよ。」

「そうだったんだ。確かに雨音は落ち着くよね。まぁ私は晴れの方が好きだけどね。」

「香織って、雨音みたいなんだよね。俺を落ち着かせてくれるし、安心する。穏やかで、見守ってくれて、嫌なことがあると言葉にしなくても感づいてくれるよね。雨みたいに香織の優しさが降ってきて、ゆっくり地面を濡らして消してくれる、みたいな?そんな存在。香織が隣にいるとよく眠れるしね。」

「にしてはちょっと寝過ぎだけどね。」私たちは笑い合う。

「なぁ香織。俺って、仕事ばっかりしてるじゃん。本当は仕事なんてしたくないんだよ。もっと香織とデートに行きたいし。香織にも申し訳ないって思ってる。香織はまだ24歳、本当はもっともっと遊びたい時期だと思うんだよね。」

「うん…。」

確かに、たまにはデートもしたいと思うし、紅樹に対しても、もっと休めば良いじゃんと思うことも多々ある。でも、紅樹がしたいこと、することに対して文句をいうつもりは微塵も無かった。これからも言うつもりは無い。何より、一緒に居られるこの時間が大好きだから。この時間が無くならなければそれでいい。

「俺、夢があるんだよね。」

「夢??」

紅樹の口から「夢」と言う言葉を聞くのは初めてだった。

「うん。実はカフェを開きたいんだ。今も少しずつ準備しているんだけど、どうしてもカフェをやりたくて…。今は毎日残業して家にいることも多いけど、メニュー開発とかでキッチンを借りてるんだ。」

「そうだったんだ。全然、紅樹にそんな夢があるなんて知らなかった…。」

「と言っても、香織と生活を初めて出来た夢なんだけどね。ほら、香織はさ、コーヒー淹れるの上手でしょ?俺は料理ができる。2人で小さくてもいいからカフェやって、こうやって穏やかな時間を過ごしたいんだ。」

私は心底驚いた。なぜなら、私もいつかカフェをやりたいと心のどこかで思っていたからだ。本当に心の片隅。意識すら通り抜ける領域でぼんやりと思っていた。私は本当にコーヒーが好きだ。高校生の時、母が大好きだったコーヒーの香りを毎日嗅いでいるうちに私まで好きになった。あまりにも好きだったので、いろんな講座やイベントに参加して、バリスタの資格まで取得していた。しかし、それは自己満足でもあったため、資格を取って何かに活かそうとは考えていなかった。カフェを開業するなんて微塵も考えていなかった。

「だからさ、これから2人でカフェやらない?なかなかデートとか、旅行とかできなくて、カフェなんか始めたら余計に時間なくなっちゃうかもしれないけど、俺、香織とずっと一緒にいたいんだ。香織はどう思うかな。」

私たちはこういう関係なのだ。お互いの時間を愛している。今もこれからも。

私は言った。

「このフレンチトースト、店の看板メニューにしたら売れるかもね。」

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初めてnoteで短編小説を書いてみました。お恥ずかしい…。

何よりタイトルをつけるのが難しくて、結局『フレンチトースト』です…。

ド✖︎100素人の作品を最後まで読んでくれた方、ありがとうございます。


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