結局何者にもなれない
思えば、何も大きな結果を残すことはできなかった。俺は人生において、勉強、楽器、ゲームだけをやってきた。
この記事では、自分が何も成せなかった、アイデンティティが得られなかったことを記す。
勉強
勉強はセンスがあったと思う。
高校受験では、週3-4日塾に通うだけで偏差値70を超えた。だから、有名私大付属高校に進学した。
学内では、上位30%ほどの成績を特に苦しい勉強をすることもなく取れていたため、大学推薦でも希望の学科に堂々入学した。
しかし、大学に入るとそんなに上手くいくはずもなく、勉強しなかったので学科の下位20%にいるのが現状である。
大学進学までは、”勉強ができるキャラ”で売っていたが、大学からはバカキャラでやっていくことしかできなくなった。
俗に言う地頭だけでやってきた社不タイプである。研究室も選べません。
留年していないだけいくらかマシだろうか。
ゲーム
ゲームはセンスが無かった。でも好きで、様々なゲームを長く続けられた。
知っているゲームの話だけでも読んでいってくれると嬉しい。興味なかったら楽器まで飛ばしてください。
小中学生の時はスマブラとかポケモンを友達とやっていたが、全然勝てなかった。高校以降は、音ゲー、ポケモン、スマブラ、Apexにハマった。
ここでは、全てのゲームで中級者止まりだという話をする。
CHUNITHM(音楽ゲーム)
中学生頃にスマホを持って、バンドリやArcaeaに出会って、音ゲーにハマった。が、一緒に始めた誰よりも下手だった。
それが悔しくて、同じ曲を何日も何時間もやって、友達に追いつき、追い越そうとした。誰よりも練習することで、同じレベルで、あるいはそれ以上でプレイすることが出来た。
そうなってようやく、楽しくゲームをプレイすることが出来た。だが、この時既に、
プライドは制御しきれないほど大きくなっていた。
高校に入って、チュウニズムという音ゲーにハマり、ゲーセンに通うようになった。
ここからTwitterで音ゲーマーと繋がり始め、仲良いフォロワーも出来た。
それによって、レート(実力)が近い相手に強く対抗意識を覚え、モチベーションを持ってたくさん練習できた。
しかし、同じようなレートだったフォロワーが突然メキメキ成長していって置いてかれるような経験を何度も経て、成長出来ない、レートが伸びない辛さに負けて段々と距離を置くようになった。
2022年の春頃だろうか。高校3年間を、約10万円を費やしたゲームは、大学に入った頃に離れてしまった。
その後も趣味で2-3ヶ月に一回ほどプレイしたりしているが、成長するはずもなく、上位15%程度の中級者で終わった。
ポケモン(剣盾~SV)
ポケモンはちゃんとしたオンライン対戦に初めて触れたのが高校一年生の冬、ポケモン剣盾の発売からだった。
いわゆる“三値”等については存在を知っている程度で、剣盾のシーズン2か3、2020年の2月頃から本格的に対戦をプレイし始めた。
参加人数はおそらくmaxで100万人、夏頃には50万人ほどだった気がする。春頃は勝てず五桁台でプレイしていたが、
2020年6月シーズン(S7)では瞬間800位台、最終的には約1400位、レート1800↑で終えることが出来た。
その時は1900(上位層,top500↑)ないし2000(最上位層,top100↑)も目指せると考えられて楽しかった。
だが、それ以降も禁止伝説が解禁される2022年末までは真剣に取り組んでいたが、その結果を超えることはなく、ずっと4桁、3000位とか5000位とかで停滞した。
1度だけ1800踏めたことでかなりメンタルを保てた部分もあるが、そこに戻れない自分にもイライラしていた。700時間くらいはプレイしたと思う。
初めてすぐに上位に食い込めたにもかかわらず、上位5%にも届かない中級者で終わった。
後にポケモンSVが発売されたが、S1で5桁を抜けられず即ヤメ。雑魚。テラスムズすぎ、レギュA当時のカイリュー強すぎ。
大乱闘スマッシュブラザーズSP
次に本腰を入れて取り組んだのがスマブラSPである。
スマブラは、2020年の冬にようやっと購入した。
ガノンドロフという、足が遅いがパワーが高い、初心者向けで簡単と言われるキャラクターを使っていた。
そこから9ヶ月、2021年の8月にVIPに到達した。おそらく平均かそれより少し遅いくらいだと思う。
その後はメインキャラをガノンドロフからネスに変更しつつ、スマメイトやVIPマッチを2023年末に至るまで累計2000時間ほどプレイした。
また、スマブラの理解度を高めるため、またシンプルに興味があって他のキャラも20キャラほどvip(初心者脱却ライン)まで使用したりした。
ポケモンの3倍近くプレイしたにもかかわらず、スマメイトのレートは1300-1400、VIPの戦闘力はいわゆる魔境3-4程度である。
競技勢や上位層(ここではレート1600〜程度、上位1%)にさえ程遠い、
上位8~10%の中級者である。
Apex Legends
2021年の春、シーズン8から始め、累計プレイ時間はスマブラと同じく2000時間を超える。
初めてのFPSだったため、初めた当初はK/Dも約0.3だったが、ドハマりし、約1年後のS11のスプリット2ではK/Dは約0.9、ダイヤ(上位20%)までランクを上げる事ができた。
S12ではシーズン通してダイヤに到達した。しかし、もう1つ上のマスターランク(上位3%)までは到達できないと感じてしまった。
そこからはモチベーションを失い、S13~22まで一度もダイヤすら到達していない。
初めてのFPSを2000時間やっただけなので、それでいうと仕方がない気もするが、何も成せなかったことに違いはない。
一番プレイ時間は長いのに、パーセンテージとしては20%ほどと最も上位から遠いのもお笑いである。
楽器(トロンボーン)
楽器は、基礎練習に全然取り組まずに適当に吹くだけで中学校の同学年で1番上手くなれた。
高校に入ってからは、基礎練習にもそれなりに取り組み、楽器の推薦で入って来たような人たち以外ではかなり上手くなった。
大学に入って、大編成の吹奏楽のインカレサークルに入った。そこで初めて、自分よりも圧倒的に上手い同年代のプレーヤーを身近に認識した。
きっと自分と同じかそれ以上にセンスがあって、それでいて弛まぬ努力を重ねて来たんだろう、と思わされるものが、彼らにはあった。
パートには、15-18人ほどが所属している。
自分より上手いプレーヤーが入学当初から3-4人その中にいた。
それでも、上手い方の半分、というか上位1/3の立場ではあったので、肥大化したプライドが大きく傷つくことはなかった。
コンクール(2023)
そして、2年生になった時、俺はパートで6人しか出ないコンクールに乗った。面倒くさくて乗りたくなかったが、人が足りないこと、強く説得され続けたことからコンクールに参加することを決めた。
正直、今まで大して頑張って来なかったこともあり、その練習期間はかなりしんどかった。しかし、結果としては都大会本選で5位、団体としては歴代最高タイのものを出せた。
とても嬉しかったが、それと同時に、もうコンクールに出るのはやめようと思った。
俺は、歴代最高の順位を取り、高得点を出し、今後それ以上のもの(2位以上で全国大会出場)を生み出せると思えなかったからだ。
コンクール(2024)について
3年生になり、俺はコンクールには出なかった。
出て欲しいとは周りに言われた。順当に上から6人選んだら自分が入るだろうなとは思った。でも、どうしても、
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