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空の涙と月の涙

私は自分の思考と感覚を形にし、その言葉や絵画やアイデアで、
なるべく自分の力だけで、どこにいても1人で生きていけるようになり、
文章や絵画で困ってるの方々ことを癒したり、救えるようになりたいです。
人が生きやすくなる思考をたくさん言葉にして、人に愛を届けられる人間になりたいのです。
いつ死んでも良い気持ちで自分を信じ、自分が楽しいと思う表現を気楽に自由に継続していきます。
私はお金のためには生きられないし、この目標も「成長」や「義務」を感じてしまうと途端に大真面目過ぎる性格が顔を出し、生き苦しくなってしまい、心が不安定になり、挫折してしまうことは目に見えています。
どこにいても、自分は自分にしか成長できないのだと、社会人を経験して私は感じました。
私はこれまでずっと自分と向き合って、ひたすら考えて行動してきたつもりです。
自分のことを知りすぎているぐらい、自分のことは自分で理解しています。

昨年まではまだ、この矛盾が多すぎる自分を自分だけで
楽しみつつ苦しみつつ癒しつつ、世間的に見た『普通』に紛れ、
周りに馴染むぐらいの自分の不思議さを程良く調節し、
親しい友人の間だけに表現して生きてきたような感じがしていました。
そうして生きているうちに、その期間に生まれるアイデア・思考・感覚
すべてを文章で形にして、表現したくてたまらなくなっていました。
というより、「自分の内にあるすべてのこと・ものの表現が足りていない。
自分はこのままでは死んでしまうかもしれない」という風にも感じていました。
また、私は勝手に自由家になるほど縛られることが嫌いなので、
一定の人間と長時間、長期間いっしょに居ることにも耐えられなかったのだと思います。
私は子供の頃から、「友人に会うこと」への優先順位は低く、
休みの日に友人と会う予定も、とても慎重に入れていました。
特定の人と会うということは、いくつもの細かい気遣いが必要になるからです。
さらに自分は無意識にも異常に気を遣ってしまう性格のため、
気力・体力をとてつもなく消耗してしまいます。
そんな私でも、自分の気力・体力を消耗させてまで、
魂の底から会いたいと思える人や、こんな自分の性質を理解してくれる人と会うこと、そういう人に出会える可能性があるような新しい出会いの場所に行くことは楽しいです。

私は自分の感情が何より大切です。
私はとんでもなくわがままな人間なので、一人が本当に好きです。
自分がとんでもなくわがままな人間だとわかっているので、
人と会った後の一人の時間はいつもより多く内省や反省をしてしまいます。
人に迷惑をかけずに自分のわがままを突き通すには一人でいるのが一番です。

しかし、私は世間的に見た『普通』の中で必死に生きて来た時間の方が
長いため、過去の自分からの目線を気にしてしまいそうになったりします。
また周りの古くからの知り合いには、こういった考えや生き方に
気付いていない人達や、理解できないであろう人達のほうが多いのはたしかです。
そのことを、気持ちが特に不安定になっている時期に考えてしまうと
自分がこの世で一番弱く、どうしようもない人間のように思えてきます。
自分を愛せる生き方を見つけ、そして家族や一部の友人は理解してくれていて、それだけで十分なはずなのに、
こういった思考のループに入ってしまうと、それが外に出掛けている時であっても涙が溢れそうになってしまいます。

ある日の昼間、東京を走る電車の窓から見える夏の空と雲を見ている時、
不安定な気持ちからの思考のループに入り、少し泣いてしまっていました。
その日の夜、駅からの帰り道では月を見て泣いていました。
でもその日の空の涙と月の涙は、意味がまったく違いました。

空の涙の後で過ごした時間に、最近知り合った方に今の自分の生き方を話しました。
信頼している家族の他に、あんなにも詳しく今の自分の生き方を口頭で話したのは初めてのことでした。
その方は、私の生き方を肯定してくれました。もちろん人の心の中はわかりません。
それでも嬉しく思えたのは人に肯定してもらえたことよりも、
自分がその内容を人に口頭で話せたことの喜びのほうが大きかったのかもしれません。
だからといって誰にでも話そうとは思いませんが、
理解してくれる人もいるのだという、愛しくて人間らしい安心の感情を覚えました。
月の涙は、不安ではなく安心の涙でした。

こんな感覚も、これからさらに自由家人生を突き進んでいくにつれて
今よりも少なくなっていくのかなと思っているので、この感覚すら
楽しんで、ただただ今は、人に理解されようがされなかろうが、
自分の内に秘めていたものを自由な文章と絵画で表現することを日々継続していきます。









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