見出し画像

カウンセリング記録

もう何回目か分からないカウンセリング。
金を持て余した実家暮らしだからできる贅沢。

それでも、ここがあるから何とか仕事を続けられてる、何とか生きているという側面がある。

今回のテーマは「転職」。
専門家としてなのか、人生の先輩としてなのか。そのどちらもが入り混じったようなやりとり。

私たちの関係は、お金で繋がっていながら、
今この瞬間は、何の他意もなく、ただ親切心から助言を受けてると実感した。

「いい道を選んで欲しいと思ってしまってるんだと思う」

その一言がとても嬉しかった。
私の幸せが願われてる。
いつもの先生とは確かにちょっと違う、近所のお節介おばちゃんのようなムード。

もしも20年30年、もっと長く生き残ってしまったら…そんな遥か先の未来への不安が尽きない。
それに対抗するために私が練った策は、先生から見れば私の現実・現状から遥かにかけ離れていて、突拍子もなかったようだ。
その反応を見たりして、自分のしようとしてた無茶や、その無茶の不必要さに気付く。

180°反対になんか行く必要ない。
冒険は必要だけど、今までの自分とほんの少しでも繋がれる冒険でいい。むしろその方がいい。

こうなったら、ああなったら…現実に基づかない不安。

でも、あなたはその状況でそういう反応はしないでしょ?

確かにそうかもしれない、と思わず口から漏れる。
私は私という人間がどんな生き物なのかわかってない。
何が好きで何が嫌いで、どういう時にはどんな行動を取るのか。
わかってるようでわかってない。
真面目真面目と言われ続けて10年以上。
最近ようやく腑に落ちた。
良くも悪くも真面目なのだ。
真面目で堅くて融通が効かなくて誠実。
これが私の性質の1つなんだ。

安心感が脅かされやすいと言われた私。
いつどこにいても、排除されるんじゃないかという予感も尽きない。
ここに私は安心安全にいられるという確信が持てない。
いつでも周りはいっぺんに敵に変わりうると本気で心の底で思っている。
だから、排除されて排除されて排除されても、行ける場所があるように、なんでも出来るようになりたくなる。
潰しが効く、どこでもそれなりに偽適応できること、それが最重要条件になる。

昨日のやりとりの中で、
そんなことはできない。
そんなことできる必要もない。
そんなメッセージを受け取った気がする。

やりたいことや自分に合うことよりも、
とにかく生きていける保証や確証を得られることが優先されるのだ。
今は、それほどまでに殺伐とした場所にいる訳ではないはずなのに、
まだ私の心の中は、死ぬか殺されるか殺すかのサバイバルなんだと書いてて思う。

実際に、この先の将来日本は先細りと言われているし、高齢化社会だし、経済的には真っ暗なのかもしれない。
でも、今30年後に死ぬかもしれないと本気で心配して生活できない悲観的な未来を想像する若者は一体何%いるだろうか。
そんなことよりも、結局、今生きてる「私」や、5年先の「私」がどうやったら幸せか考えて、それを結果的に積み重ねていく人の方が多いんじゃないか。

それくらい自分は的はずれな心配をしていることは理解している。
でも、ネットやマスメディアの不安を煽る情報を生真面目に間に受けてしまう。
馬鹿だよな。

まずは、色々頭の中だけで考えてないで、作るなりなんなり具体的な行動を起こしてみなさいと言われた。
面接も決め打ちするんじゃなくて、自分の市場価値、求められてる場所を見定めるために受けてみるとよいと。

そういう考え方はなかったな。
転職してる時くらいしか、あちこち入り込んだり話を聞いたりなんかできないか確かに、と思った。
そういう意味では、他の職場の働き方や働いてる人を知るためにフラフラ動いてみるのもありだなと思う。
とは言え、狭い業界を不必要にうろちょろするのもなんだから、ある程度は整理をしながら。

そんなカウンセリング。
まだ、楽観的で明るい未来は想像できない。
今日も私は動悸がしてるし、歩いてるだけで泣きそうになりながら出勤してる。
それでも、「そういえば私、前はこんな風な仕事はできなかったな」と不意に変化を実感する。
高くない具体的なハードルも見えたし、少しはやってみようかなと思えてる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?