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ネットで読んだあの話は、きっと現代のおとぎ話

 ネットで語られる、真偽不明の話。でもなんとなくみんなが信じて広めている話。これはネット生まれの民話(フォークロア)という意味で、ネットロアと呼ばれる。ブログやツイッターや回ってきたメールや、まとめサイトできっとみんな読んだことがある。
 あたらしいおとぎ話、令和の民話。
 
 たとえば、このお話は自分も聞いたことがある。

 飛行機に乗った白人女性が、自分の隣の席が黒人男性であると気づいた。女性は激昂してアテンダントを呼ぶ。「どうされましたか?」と聞かれた彼女は「わからないの?黒人の隣の席になんか座れないわ。席を替えてちょうだい」と言う。
 
 アテンダントは「空席があるか調べてきます」と言って立ち去り、戻ってきて告げる。「ファーストクラスに空席がございます。本来であれば、お席の交換は承っておりません。でもお客様が道中、不愉快なお客様の隣に座り続けるとしたら、それは当社にとって恥ずべきことです」
 
 そしてアテンダントは黒人男性に向かって「ということでお客様、ファーストクラスへご案内いたします」。近くの乗客は歓声をあげ、白人女性は呆然とし、スタンディングオベーションを送る人もいた。

 最初読んだときは「そんなこともあるんだな~」くらいの感想だった。でもあとあと知ったところによると、この話が実際に起きた証拠はない。この話は1998年から確認されているものの、実際に現場となったエアラインも特定されていない。まったくの嘘。
 
 でも一部の人は、嘘だとわかったあとでもこの話を広めるんじゃないか。だって人種差別に反対している「いい話」に見えるから。そうして「いい話なら拡散しても問題ない」と思う人は多いから。
 
 これは昔の人が「鶴の恩返し」を語り継いだ感覚に似ているのではないか……と思う。別に鶴でなくてもいいけど、とにかくなにか「いいこと」が成される話。悪が成敗されたり、正義が成されたりする、ありそうでない物語。これは現代のおとぎ話だ。
 
 民話とかおとぎ話と言うと「昔のもの」のイメージがあったけれど、どっこい現代にも同じメカニズムが働いている。人は物語を聞くとそれを語り伝えたくなる。怪談みたいな怖いものも、ちょっと不思議な都市伝説も。
 
 民話はいまも作られ続けている。上で紹介した小話もそうだし、東日本大震災のあとにはネットでもリアルでも多くの幽霊譚が語られた。タクシーに乗せた客は途中で消えてしまったとか、亡くなったことに気づいてない人が家のドアをノックしに来るとか。
 
 あのときはどこでもそういう話を聞いた。いま思えば、あれは民話の原型みたいなものなんだろう。人々はそういう奇妙な噂話を共有することで、起こった出来事に折り合いをつけていくのかもしれない。
 
 ただ受けとめるにはあまりに大きすぎるから、物語を介して徐々に受け入れていく。亡くなったことに気づいていない人の霊は、彼らを失った家族がその死を受け入れられていないことを示しているのかもしれない。
 
 語り伝えられる物語は、最初は噂話だったり娯楽ついでのおしゃべりだったりして、そこから一個の形を成していく。それは事実を超える。人々の「世の中はこうであってほしい」とか「こうならおもしろい」とかいう意見を吸収して反映し、事実以上のものになる。
 
 あのエアラインでのお話は、いつか絵本になるかもしれない。「ネット昔話」みたいな感じで……。
 
 古今東西の「いい話」には「実はそんなことなかった」と言われるものが多い。そんなことなかったのに生き残っている話は、つまり人々が求めている話だ。そして需要がある限り、物語は語られ生き続ける。場所がネットでもリアルでも変わらない。
 
 いつの時代も、人々は噂が好きなのだ。

参考文献:松田美佐『うわさとは何か ネットで変容する「最も古いメディア」』中公新書、2014年。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。