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一生のうちに使わなくても。言葉を覚える、辞書を読む

 フランスに短期留学した友達が言っていた。

「そんなにフランス語話せなくても、どうにか生活していくくらいはできるよ。『これください』とか『お願いします』とか、あとは指差せばいいだけだし」

 意外と語学はなんとかなる。短期滞在ならそれで十分、とのことだった。
 
 日本にいても、毎日の生活にそれほど多くの語彙はいらない。人によっては「休日になると『スイカでお願いします』しか喋ってない」ってこともある。そこまで極端じゃなくても、使う単語やフレーズってだいたい決まっている。
 
 おはようございます。こんにちは。お疲れさまです。お世話になっております。いただきます。ご馳走様でした。ありがとうございます。はい。いいえ。お願いします。
 
 あまり職場で会話のない人なら、上に書いたフレーズだけで乗り切っているかもしれない。頻繁に使う言葉というのは決まっている。生活していくだけであれば、3000語あれば間に合うと言われる。
 
 3000語ってどれくらいなのか?という話なのだけど。英単語帳で1000語収録のやつがある。ハンディタイプ、手に納まる厚さ。あれが3冊分。

 英語の暗記に悩まされた人からしてみれば多いかもしれない。ただこれが母国語だった場合、3冊分の単語しか知らないとなると、ちょっとこころもとない。
 
 こころもとないだけで生活していくことはできる。これをどう捉えたらいいんだろう。
 
 3000知ってれば十分なんだから、それ以上おぼえる必要はないか?それとも一生に一度しか(あるいは一度も)使わないのだとしても、ボキャブラリーは多いほうがいいか?
 
 いま読んでいる本には、こんな文章が出てくる。
 

言語生活が営めるには、三〇〇〇では間にあわない。三万から五万の単語の約半分は、実のところは新聞でも一年に一度しか使われない。しかし、その一年に一度、一生に一度しか出あわないような単語が、ここというときに適切に使えるかどうか。使えて初めて、よい言語生活が営めるのです。そこが大事です。語彙を七万も十万も持っていたって仕様度数1、あるいは一生で一度も使わないかもしれない。だからいらないのではなくて、その一回のための単語を蓄えていること。

大野晋『日本語練習帳』岩波書店、1999年、21-22頁。

 なんでもかんでもむずかしい言葉をたくさん覚える必要があるといっているのではありません。そのときどきに、ピタッと合う、あるいは美しい表現ができるかどうか。それが問題です。それが言語の能力があるということです。歌人や小説家が辞書を読んで単語を覚えようとしたのは、そういうときに備えたいからです。だから、読み手もその細かい心づかいにつきあうだけの感度をそなえていなくてはいい読者とはいえません。

同上、22-23頁。


 はい。
 
 いい読者であろう、と固く決心したわけではないけど、ためしに国語辞典を引いてみる。「と」のページをたまたま開くと、はじめましての単語が目に入る。

 
【砥の粉】と‐の‐こ  砥石の粉末。また、黄土を焼いて作った粉。刀剣などをみがいたり、漆塗りの下地、板・柱の色づけなどに用いたりする。 
【都鄙】と‐ひ     都会と田舎
【土匪】ど‐ひ     害をなす土着民。土着の匪賊。

 
 とのこ。発音が女の子の名前みたい。木でものづくりをする人にはとっては重宝もので、表面をコーティングするのに使うらしい。だから木や漆を扱う伝統工芸品のホームページなんかで、この単語は使われている。
 
 一生のうち、自分が使うことがあるかはわからない。でも知っているだけで「この世にそういう用途の粉があるのか」と思える。表す言葉を知らないものは存在を知らないも同然で、知らない単語が多いほど世界は気づかないあいだに狭くなる。
 
 そういうわけで、辞書を引くのでなく読んでいる。こういうときは、パラパラめくれる紙の辞書がいい。


参考文献


記事中で使っている辞書はこちら。旺文社国語辞典、第11版。


本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。