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「快楽」ってホントは

「快楽主義」という言葉があるけど、本当の快楽ってなんだろう。酒がおいしいからとガバガバ飲んで次の日に二日酔いで苦しむのは、真の快楽主義に反しているそうだ。本物は翌日の快不快を計算し、ひどく酔わない程度に飲む。いまこの瞬間だけ刹那的に気持ちよければいいのではなく、明日や明後日やもっと先のことまで考えて、何が一番こころよいかを判断する。快楽主義は、もとはそういう思想なのだった。

古代ギリシャのエピクロスが提唱したため、この思想を支持する人々を「エピキュリアン」と呼ぶ。試しにこの単語で検索をかけてみたら、成人向け商品のサイトがトップに出てきた。たぶん快楽主義を誤解したのだと思う。確かに字面だけなら、性的快楽に溺れるのを肯定しているように見えるだろう。訳語の問題だろうなあ。ややこしいので、もともとの意味の方を「エピキュリズム」と呼んでおく。

エピキュリズムは苦痛が嫌いだ。体のどこかが痛い、苦しい、吐きそうだ、熱がある。こういうのを避けたい。だから身体の健康に気を遣う。体を痛めつけるようなこともしない。仮にコルセットやハイヒールで身体が悲鳴を上げたり、ネクタイとジャケットのせいで暑くて死にそうになるなら、極力それを避けようとする。

精神的に苦しむことも嫌う。できたら落ち着いていたい。ジェットコースターみたいに気分が上がったり下がったりして翻弄されるのではなく、心の平安が大事だとした。心の平安、ギリシャ語で「アタラクシア」。不安を持たずに生きられて、いつも心が穏やかであること。何かを怖がったり、欲望に振り回されたりしない状態を指す。エピキュリズムは瞬間的な快楽じゃなく、永続的な快さを目指す思想だった。

少し哲学に詳しい人なら「それって功利主義じゃん。『快と不快の量を計算して、トータルで快のほうが多いなら、それが幸福』ってやつでしょ」と言うだろう。その見立ては当たっていて、功利主義を唱えたイギリスの哲学者たちはエピクロスからの影響を強く受けていた。そのへんは哲学史の話になる。

「快楽主義」に話を戻すと、だから一般的に理解されている「酒池肉林最高」みたいな意味と、エピキュリズムの間には大きな開きがある。後者の思想はかなり穏やかだ。自分だってそういう意味では、できたらエピキュリアンでいたい。暑いとか寒いとか、痛いとか苦しいとかなしに平穏に生きていたい。肉体的にも精神的にも。

そういう考えを支持しない人ももちろんいる。「苦しい思いをしてこそ人生だと思う。痛いのも辛いのも我慢できるし、何かに挑んで自分に負荷がかかっているときが一番楽しい」、そんな人もいる。積極的に重荷を引き受けに行く考え方は、なんて呼ばれるんだろうな……寡聞にして知らない。

こういうことを言っていると「つまりあなたは何もしたくないの?転ぶのが嫌だから、そもそも立って歩くのも嫌とか、そんな感じ?」と尋ねてくる人もいる。そうじゃない。自分のためになると思えば、負荷がかかることも怖くない。何もしないほうがトータルで見てマイナスになるなら、それを避けたい。あとで苦しい思いをするのは嫌だから。

お世話になった人が以前「失敗するのは怖いかもしれないけど、何も経験がないまま歳だけ取っていくのってもっと怖いことよ」と言ってくれたことがあった。そう、そんな感じ。本当に怖いことを避けるためなら、目の前の負担も怖くない。無様な失敗をしたこともあったし、それで泣いた経験もあるけれど、しないよりはずっとよかった。そういう感じ。

快楽主義にもいろいろあるけれど、自分はエピクロスのそれが一番好き。二日酔いを避けるのもまた快楽のあり方なのだ。

本を買ったり、勉強したりするのに使っています。最近、買ったのはフーコー『言葉と物』(仏語版)。